10/07(金) 

日本縦断ツーリング60日目



(ボランティア期間26日)

行程

道の駅上州おにし〜金鑚神社・鏡岩〜長瀞〜野上下郷の板碑〜日本水〜上野三碑巡り〜道の駅しらね

ルート

正規版のページ

注)ルートはGARMIN GPSmap 60CSにて記録したものを、
ルートラボにて表示しています。
貼り付けているものは簡易版でルートをなぞるだけですが、
正式版では、地図を空撮写真に変更できるほか、
速度、時間、標高等のデータを見ることができます。

リンク先がある画像のリンク先は「フォト蔵」です。
元サイズ(基本3344x1872)の画像を見ることができます。

昨晩の宿泊地

道の駅上州おにし
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国道からして交通量の少ないところで、
駐車場は建物の裏、坂を下ったところにあるので、
来る人もおらず…寝るのに全く問題はありませんでした。
起きて撤収作業をしていると、車が一台入ってきました。
私の親ぐらいの年頃の御夫婦だったのですが、
「鹿児島から?」と声を掛けられまして…鹿児島の御出身らしい。
少し話をして、旅用の名刺までもらいました(笑)
ちなみに敷地内に石器時代の住居跡がありましたが、
建物内で保護されていたので見られず、説明板を読んだだけ。


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今日最初の目的地は、
境内の奥に特別天然記念物の「鏡岩」がある金鑚(かなさな)神社。
駐車場からは最初に国重文だという多宝塔が見えましたが、
なかなか心奪われる建築でありました。
斜面に立地しており…うまく撮れる場所を確保できなかったのが残念。
1534年の建築ということでした。

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参道を歩いて、金鑚神社…
武蔵国二宮、式内社、官幣中社だそうです。
ここは背後の山を御神体とし、古来本殿を有さない神社で、
官幣、国幣社で本殿を有さないのは、
当社のほかは大神神社、諏訪大社のみ、ということでした。
写真は正面にあった建物で…拝殿かな?と思うのですが、
ウィキを見ると、別の建築が拝殿となっているので不明(^_^;)
(ウィキがいつも正しいわけではありませんけど…)

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上の建物を正面に見て、左手にある神楽殿。

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普通の神社なら本殿があるところ。
右の写真の建築を、ウィキは拝殿としています。
が、その奥には建築はないので…拝殿と言われるとしっくりこない(^_^;)

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境内の隅から、鏡岩へと道は続いています。

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国特別天然記念物、鏡岩。
道は最初はさほどきつくなかったのですが、
最後あたりは階段になってきつかったです(^_^;)
要するに、岩断層活動のすべり面で、高さ約4m、幅約9mあり、
北向きで約30度の傾斜をなし、岩質は赤鉄石英片岩。
強い摩擦によって、このように光沢を帯びているらしいです。

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アップ。江戸時代の本には、
向かえば顔のしわまで写ると書かれているそうです。

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柵があって、顔を写すことはできないのですが…(^_^;)
森の中、来る人もあまりおらず、苔むしていたので、
確かに磨けばもっと光るのかもしれない、という感じはありました。

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鏡岩は山の中腹にあって、山頂まで行って、
別ルートで下れるようだったので歩いて行ってみました。
御嶽山という山で、金鑚神社の御神体とは別の山ですが、
かつてはお寺があったようで、石仏が残っていました。
(寺跡は少し離れており、廃仏毀釈で廃寺になり、
石仏も別の場所に移された後、今の山頂付近に移されたそうです)
現在は70体ほどしかないとのことでしたが、かつては88体安置され、
四国の八十八か所霊場を模したものではないかということ。

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山頂は岩山になっていて、弁慶岩という岩があり(どれかは不明)、
その下東に、かつて石仏地蔵が安置されていた「地蔵穴」があるとのことでしたが、
写真がそれではないかと…今は地蔵は安置されていないようです。

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山頂からの眺め。岩山で、登るのは少々危険が伴いました。
岩山から降りてきて…先ほどの石仏のところ、
広場状になっているのですが、抱き合ってチューしてるカップルが…(^_^;)
向こうも笑ってましたが、こっちも笑うしかないです(^_^;)

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帰りは別ルートで下山します。
道がフカフカでいいなぁと思ったのですが、
なんだか、路面の下にコンクリートが露出している場所があり、
(見にくいですが、草の向こうの部分)
最初は特殊舗装が剥落したのかな?と思ったのが、
コンクリートの歩道に、腐葉土が溜まっていただけなのでは?
という可能性にも思い当たったのでした。

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帰り際に、多宝塔をもう一枚。
これが一番いい写真だという気がします。

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長瀞を目指して走っていくと、近くの踏切に人だかりが…
すぐそこの駅にSLが停まっていて、撮り鉄がたくさんいたようです。
せっかくなので私も撮影…(笑)

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秩父鉄道のC58363という機関車で、パレオエクスプレスという愛称。
C58として、唯一動態保存されているそうです。
パレオというのは、当地にかつて生息していた、
パレオパラドキシアという海獣に由来。
秩父鉄道、パレオエクスプレスのページ
ウィキペディア、C58のページ
(パレオエクスプレスについても記載があります)

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ヘッドマーク?はWildwood Rosesと書いてあり…
調べてみたら、なにかカントリーバンドの結成10周年とかで…
販売しているということなんでしょうか?よく分かりません。

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すぐそこは長瀞のようなのですが、
観光地化されていて、駐車場が有料のところばっかりでした。
後から見たら、バイクはそんなに高いところもあったようですが、
駐車場だけに金を払うのはもったいないので…
ご飯を食べるついでに停めることにしました。
そんなに人いなかったし、
食べたらちょっとぐらい停めさせて貰えるだろう、ということで。
御食事の方は駐車場無料!とか書いてるところもあって、
ご飯を食べるのに駐車場に金払うってどんな一等地だよ、と思いつつ…
普通にメニューから鮎の塩焼き定食をオーダーして、
時間がかかるとのことでゆっくりしていたのですが、
考えたら、この間に長瀞行けるんじゃない?ということで、
先に長瀞散策に行ったのでした。

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長瀞の様子…川下りが観光のメインのようです。
なかなか様子が良く、知名度に負けないだけのものがあると思われました。

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帰ってきてからご飯。

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店内にあったポスター。
ホントにこんな様子になるのか?という感じも…(^_^;)

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先日の博物館で情報をゲットした、日本最大の板碑、
野上下郷の板碑。国指定史跡で、指定名は「〜石塔婆」。
高さ約5メートル。

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種子。「バク」という釈迦如来の種子のようです。

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梵字で刻まれているという光明真言。
その下に、造立紀念銘等が記されているのですが、
町内の「仲山城」落城の際に討ち死にした城主、阿仁和直家の13回忌に、
夫人の妙円尼が1369年、追善供養のために建立したものということです。

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近くに名水百選、「日本水(やまとみず)」があるとのことで行ってみました。
道が細いし急だし、結構大変だったのですが…(^_^;)
途中にあった水汲み場。

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いろいろウザいことが書いてある注意書き…(^_^;)
そんなこと書くなら、整備しなくてもいいんじゃないの?という気もします。
というわけで、ここの水には関わりませんでした。

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水源に行こうと思ったのですが…通行止め。
説明板によると、大きな岸壁から水がわき出しているそうで、
ヤマトタケルの東征の際、のどの渇きに剣を突き刺すと、
湧き出してきたものの、その冷たさに一杯しか飲めず、一杯水との別名もあるとか。

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湧き出した水は風布川として流れているようです。
(おそらく)その様子。

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次の目的地に向けて走っていると、
「ガリガリ君」の工場があったので(赤城乳業?)、とりあえず撮影。
見学もできそうな工場でしたが、必要を感じずスルー。

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次の目的地はすべて特別史跡の上野三碑。
マップル見ていた時は、多胡碑から行こうと思っていたのですが、
走りながらナビで検索していると、
金井沢碑が一番近いようだったのでそちらから行くことに。

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特別史跡に似つかわしくない、畑のそばの道を通ると到着。
道のあまりののどかさに、裏道かと思ったのですが、
全然そんなことはなかったようです(^_^;)

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碑は覆屋の中にあり、ガラス越しということもあり、
何が書いてあるか、まったくわかりませんでした(^_^;)
詳しいことはウィキペディアにて。

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説明板。文字の様子が描かれているので掲載。

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少し広い道を走りつつ…また細い道に入って多胡碑まで。
ここは日本三古碑(他は多賀城碑、那須国造碑)の一つでもあり、
敷地に他にもいろいろ歌碑等が建っていました。
写真は「多胡碑記の碑」というそうで、建立は大正の物ですが、
碑文の選と篆額は細川潤次郎、書は当代日本随一の書家日下部鳴鶴。
私はどちらも知りませんでしたが、ともにウィキペディアに項目がありました。
素人の私が見ても、綺麗な字だと思えたので掲載。

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多胡碑の覆堂。

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国特別史跡、日本三古碑、多胡碑。
詳しいことは、ウィキペディアにて。

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碑文のアップと、さらにアップ。
こちらはガラス越しでもはっきりと文字が見えました。
二行目の一番下に「給羊」との文字がありますが、
羊が何を指すのか、いろいろ解釈があって論争のポイントのようです。

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敷地の奥に多胡碑記念館があったので入館。
文字や書の説明が多く、その筋には詳しくない私ですが、
なかなか興味深かったです…「とめはねっ!」の連載が続けば、
もっと造詣も深くなるかもしれません(笑)
館内は撮影禁止でしたが、右のレプリカは撮影OKでした。
(本物がすぐそこにあって、撮影してるのであまり意味ないですが…)

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上野三碑の残る一つ、山ノ上碑へと。
こちらも道が分かりにくいところでしたが、
駐車場は一応、少し離れたところに整備されていました。
名前の通り、碑は丘の上にあるのですが、そこへと続く階段。
山上には昔に観音堂があり、石段もその参拝のために作られたものが、
御堂も今はなくなって、史跡への石段であるような錯覚のみが残っている、ということでした。

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登りきったところには古墳があります。
特別史跡としても、「山ノ上碑および古墳」としての指定で、
碑もこの古墳の墓碑と考えられているそうです。

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古墳と、碑の覆堂。

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碑の様子…やはりこちらも読めませんでした。
詳しいことは、ウィキペディアにて。

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説明板二つ。

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石段を下りて、碑への入り口近くに板碑がありました。
最も、こちらも祠の中に安置されているのですが…

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開いてるところからカメラを入れてみたら、撮影できました(^_^;)
来迎阿弥陀画像板碑という市の史跡で、1278年の建立。

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近くにあった、梵字が刻まれた板碑。

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そこから西へと走って、上野一宮、貫前(ぬきさし)神社へと。
着いたころには、すっかり暗くなっていましたが…(^_^;)
写真は総門。

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この神社は、門をくぐったところから階段を下ると社殿があるという、
珍しい「下り宮」になっています。総門をくぐったところから、下り階段の様子。

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写真ではそうは見えませんが、もうすっかり暗くなっていて、
境内も誰もいないし、参拝ののち、写真だけさっさと撮って退散。
楼門ですが…1635年徳川家光による再建で、
本殿、拝殿とともに国重文に指定されているようです。

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総門前の広場からの夕焼けの様子。
この広場…東屋やトイレもあって、十分寝られそうでしたが、
今日はさらに、碓氷峠を越えて長野に入り、
以前住んでいた佐久市でご飯を食べ、
そこから南下して野辺山高原を通って山梨まで。
碓氷峠ででも、これまでなかったような気温でしたが、
野辺山近辺ではさらに気温が下がり、1度にまでなりました。
そこからまた標高が下がると気温も回復して、
寝るときは短パンで寝られました。

走行距離

255.6km

本日の家計簿
自販機コーヒー120円
金鑚神社賽銭5円
自販機天然水サイダー100円
食堂鮎塩焼定食1500円
多胡碑記念館入館料200円
天風チャーシュー麺、餃子1170円
セブンイレブン軽食335円

当日のブログ記事


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