実家(休養日)
今日も体調はよくならず・・・
と言うか、だんだん下血の量は多くなってきているような(^^;)
腹痛がない(ちょっと、腸に違和感はありますが)ので幸いなのですが、
その分、自分としてもちょっと深刻さに欠けているような気もします。
ちょっと説明しますと、「潰瘍性大腸炎」というのはその名の通り腸に潰瘍が出来る病気で、
特徴として病気の原因がいまだ不明であり、根本治療法も解明しておらず、
また良くなったり、悪くなったりというサイクルが繰り返されると言うことがあります。
1975年に当時の厚生省により特定疾患に指定されました。
これにより、申請すると医療費の補助が受けられ、
現在は分かりませんが、私が入院した当時は医療費が月額12,000円になりました。
幸いなことに、特定疾患のなかでは軽い部類に入る病気(私的イメージ)で、
死亡率も0.1%と、特定の場合を除いて死に至る事はないようです。
また、特定疾患の中では患者数が比較的多い病気だと聞いたことがあります。
私は色々あって、平成11年晩夏に発症し、当時は神戸で一人暮らしをしていたのですが、
ずーっと我慢していて病院になかなかいかず(^^;)
忘れもしない9/29に診察を受けに行き、9/30に検査、
10/1に入院し、11/13退院だったかな?およそ一ヵ月半入院しました。
その後、鹿児島に戻ってきまして、仕事に就いたり色々ありましたが、
ずーっと再発したことはなかったんですけどね・・・
そのためずっと病院にも行っておらず、薬も飲んでいません。
本当は行かないといけないし、飲まないといけないのですが、
再発をしない症例もあるらしく、私はその幸運な例かと思ってました(^^;)
先日は、ストレスも疲れもないし食生活もおかしくないし、
何が原因か分からないと書きましたが、考えてみたら原因不明な病気なわけで、
ストレスとかはあくまできっかけに過ぎないのだな、と(^^;)
自分では旅日記のつもりが、闘病日記のようにもなってきたかな?(^^;)
本格的に闘病日記にならないよう、ちょっと節制しないといけませんね。
話は変わりまして、また野球の話。
タイガースの金本知憲選手が、連続フルイニング出場の世界記録に肩を並べたとか。
ただ出るだけではなく、37歳の2005年に打率、本塁打、打点でいずれも自己最高を記録するなど、
ますますパワーアップしている感があり・・・鉄人を超える超人といった感じですね(^^;)
それはそうとして、金本選手はもともとカープの選手。
タイガースのファンを見ていたりすると、ずっと前からタイガースの選手だったのような扱いですが、
ちょっと、鼻持ちならないな、と思うわけです(^^;)
だいたい、あのタイガースでそんな根性ある選手が育つわけないのでは・・・(笑)
2003、2005年と優勝して、以前のイメージは払拭されていますが、
90年代のタイガースは本当にダメ虎、ジャイアンツの二軍にすら劣ると言われてましたし(笑)
で、今ではその立場は逆転したかのように言われていますが、
ジャイアンツだって2000、2002と優勝していますし、
何より、ジャイアンツは2リーグ分立以降、30回優勝しているのに対し、タイガースはわずか5回、
日本シリーズ制覇もジャイアンツの20回に対し、タイガースはわずか1回で、その差は歴然としているのです。
と言いますか、ジャイアンツの強さという物はいわば別格でありまして、
古今東西いろんなプロスポーツがあるでしょうが、
ある程度メジャーなスポーツでここまで輝かしい経歴を持つ球団はないはずです。
最近落ち目のように言われていますが・・・その原因を作ったと思われるのは、
図らずも金本選手と一つ違いで、仲がいいといわれる清原和博選手ではないかと思うわけです。
2002年までは松井秀喜選手がいたので、その負のオーラを相殺できたんですけど(笑)
もともと、私は清原選手がジャイアンツにFAで来ることに大反対でして、
タイガースの当時の吉田監督が、「縦じまを横じまにしてでも(来て欲しい)」と、
清原選手を口説いたのは有名ですが、それが成功していたなら、
タイガースはますます負のスパイラルにはまっていたことでしょう(笑)
ちょっと、両選手の成績を比較してみたいと思います。
FA移籍前三年間の両選手の成績(L=ライオンズ、C=カープ)
名前 | 年度 | チーム | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 長打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
清原和博 | 94 | L | 129 | 565 | 455 | 127 | 26 | 93 | 5 | 100 | 117 | .279 | .514 | .411 |
清原和博 | 95 | L | 118 | 505 | 404 | 99 | 25 | 64 | 2 | 90 | 111 | .245 | .478 | .392 |
清原和博 | 96 | L | 130 | 563 | 487 | 125 | 31 | 84 | 0 | 70 | 122 | .257 | .509 | .357 |
清原和博 | 3年 | L | 377 | 1633 | 1346 | 351 | 82 | 241 | 7 | 260 | 350 | .261 | .501 | .386 |
金本知憲 | 00 | C | 136 | 588 | 496 | 156 | 30 | 90 | 30 | 80 | 101 | .315 | .544 | .415 |
金本知憲 | 01 | C | 140 | 615 | 472 | 148 | 25 | 93 | 19 | 128 | 69 | .314 | .536 | .463 |
金本知憲 | 02 | C | 140 | 604 | 540 | 148 | 29 | 84 | 8 | 60 | 99 | .274 | .498 | .348 |
金本知憲 | 3年 | C | 416 | 1807 | 1508 | 452 | 84 | 267 | 57 | 268 | 269 | .300 | .525 | .412 |
こうしてみると、FA宣言前の3年間の成績で言うと、だいたい金本選手が上回っています。
そして何より、清原選手・・・平均で打率2割6分、本塁打27本、打点80と言うのは、
超一流選手とは言えないでしょう。大体清原選手、このときまだ30前で老け込む歳でもなく、
どちらかと言うとピークの年齢のはずなのです。しかしこの体たらく。
ついでに三振はコンスタントに110以上マークしていますし。
清原選手がもっとも素晴らしい成績を残したのは90年で、
打率.307、本塁打37、打点94(長打率.615、出塁率.454はともにリーグ1位)なのですが、
それでも打率は.333打てず、ホームランは40本打てず、打点も100を超えず。
この時期の清原選手を「無冠の帝王」と呼ぶ声もありましたが、それは明らかに幻想でしょう。
先にあげた基準を何回も超えているのならたしかに「無冠の帝王」でしょうけれども。
(もっとも先に書いたように出塁率等で一位になったことはあり、新人王も取ってます。
いわゆる、打撃三冠部門で無冠ということで。)
のちにジャイアンツ時代の01年に、121打点という成績を収めたことはあり、
それでタイトルが取れなかったのはかなり不運なんですけどね。
(タイトルはスワローズのペタジーニ選手、127打点)
清原選手は、いわずと知れた森ライオンズの主砲だったので、
セ・リーグしか見てない人間にしてみれば超一流打者だったのでしょうが、
宣言したときは既にピークを過ぎた打者だったことが分かります。
で、宣言前はちょっと金本選手の方が上かな?というFA宣言前の成績の差、
宣言あとの三年間を比較してみると、これは明らかに差が広がっています。
FA移籍後三年間の両選手の成績(G=ジャイアンツ、T=タイガース)
名前 | 年度 | チーム | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 長打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
清原和博 | 97 | G | 130 | 550 | 462 | 115 | 32 | 95 | 0 | 69 | 152 | .249 | .509 | .356 |
清原和博 | 98 | G | 116 | 470 | 384 | 103 | 23 | 80 | 1 | 67 | 76 | .268 | .484 | .379 |
清原和博 | 99 | G | 86 | 323 | 263 | 62 | 13 | 46 | 0 | 46 | 68 | .236 | .430 | .365 |
清原和博 | 3年 | G | 332 | 1343 | 1109 | 280 | 68 | 221 | 1 | 182 | 296 | .252 | .482 | .366 |
金本知憲 | 03 | T | 140 | 632 | 532 | 154 | 19 | 77 | 18 | 93 | 89 | .289 | .449 | .399 |
金本知憲 | 04 | T | 138 | 613 | 521 | 165 | 34 | 113 | 5 | 79 | 100 | .317 | .589 | .406 |
金本知憲 | 05 | T | 146 | 662 | 559 | 183 | 40 | 125 | 3 | 98 | 86 | .327 | .615 | .429 |
金本知憲 | 3年 | T | 424 | 1907 | 1612 | 502 | 93 | 315 | 26 | 270 | 275 | .311 | .552 | .414 |
清原選手が、移籍一年目に32本塁打、95打点を挙げているのに対し、
金本選手は一見、ぱっとしない成績。
しかしタイガースはこのとき優勝しており、金本選手も数字以上のインパクトと評されました。
清原選手も、本塁打と打点は評価される物の、打率2割5分をきり、三振152と途方もない数字。
移籍二年目以降は、これはもう比較するまでもない成績となっています。
清原選手が99年で32歳だったのですが、これ以降も怪我多発のため戦線離脱が多くなり、
一方の金本選手は37歳の05年に、打率、本塁打、打点でいずれも自己最高を記録。
くしくもこのときの長打率.615は、清原選手が23歳の90年にマークした数字と同じです。
このように、年齢を重ねてなお意気軒昂な金本選手を取ったタイガースに対し、
FA宣言時既にピークを過ぎていた清原選手を取ったジャイアンツ・・・
去年までの両球団の差は、ここに象徴されるのではないかと思うわけです。
それと更に言うならば、両選手の野球に対する姿勢でしょう。
もちろん私も、両選手を常に追いかけているわけではありませんので、
私的なイメージということになりますけれども、
清原選手は練習中に悪ふざけが多くて、プロレス技ばかりかけているとか、
子分といわれた元木選手も、「練習態度が悪い」と戦力外通告を受けたとか受けないとか。
その他、2004年オフの代表への直談判事件、2005シーズン中のハイタッチ拒否事件、などなど、
おおよそチームにいい影響を与えたことない清原選手に対し、
試合に出続けることで、他の選手の鑑となっている金本選手・・・
記録達成のニュース映像でも、鹿児島市の最福寺で護摩行をする金本選手がありましたが、
それってもともと清原選手が長渕剛に紹介されて始めたものではなかったか?と。
その後、清原選手がそれをしたという話は聞いたことありませんし、
清原選手は「番長」とは名ばかりの根性なし。
2005年シーズン中、大差のついた試合でタイガースの藤川投手が清原選手に変化球投げたことに対しての、
「金○ついとんのか」と言う発言もありましたが、
それに対して岡田監督の「ストレートしか打てへんからやろ」は正論ですし、
2005年のオールスターゲームにともに選ばれてのコメント、
「番長と兄貴で盛り上げたい」と言うのも、そのときの成績を見ればまるで道化の発言でしたし。
ま、その他色々あるにせよ・・・お分かりの通り私は清原選手は大嫌いで、
ジャイアンツから移籍してくれて本当に良かったと思っています。
しかし、ただ単純に嫌いと言うわけではないのです。
高校入学したてで、3割30本をマークした清原選手・・・
当時は王監督の記録すら塗り替えるのでは?と言われた選手が、
なぜこういう成績に終わったのか?(まだ現役ですけど、過去の自己成績は変えられませんし)
と言うのが残念なんですよね。
色々原因もあるでしょうが、投手と野手の違いはあるとはいえ、
同じく甲子園で大活躍し、ライオンズに入った松坂大輔投手が、
既に何度もタイトルを取り、まさしく「日本球界のエース」だと言うことを考えると、
本人の意識の問題に負うところが大きいのではないかな?と考えられるわけで、
それが本当に残念なんですね。
ちなみに今日は、珍しくジャイアンツはデーゲームで中継もなし。
結果はドラゴンズ相手に6-1で勝利!
今日は本来、開幕2戦目に投げた高橋尚成投手が先発予定だったと思われるのですが、
数日前にファールボールを顔面に受けて陥没骨折と言う事故があり、
替わりに内海投手が先発でしたが、6回無失点のナイスピッチング!
その後のリリーフ陣も安定していましたし、今年はちょっと期待していいかな?という感じですね(^^)
0km
実家
支出なし | 支出なし | 支出なし |