2/18(土)

行程

西之表市内の公園〜種子島開発総合センター(鉄砲館)〜宇宙ヶ丘公園キャンプ場

今日はH-2Aロケット(正式には「2」はローマ数字を使うのかも知れませんが、
そちらは機種依存文字だったと思うので「2」を使います)の打ち上げの日です。
先月、8号機が打ち上げた「だいち」と違い、
今回の9号機は運輸多目的衛星という事で、
そこまで特別な衛星ではないのかな?という感じもありますが、
莫大な費用がかかっていることに変わりは無く、
失敗できないことも事実ですね。
打ち上げは午後3時26分の予定でしたが、
国際宇宙ステーションとの衝突を避けるためとか
フェリー内のTVで聞いた気もしますが、1分遅れて27分に。
幸い、種子島でのベースキャンプ地にしようと思っていた「宇宙ヶ丘公園」が、
ロケット打ち上げを見るのにも適しているということで、
その時間まで何をしようかな?と言うのがありました。

朝起きたのは7時半ごろでした。
寝たのが1時過ぎでしたし、ちょっと早いかな?と言うのもありましたが、
フェリーの中でも寝ていたわけですし、まぁいいかと思って起き出します。
民家が近いところにて、公園を通り抜けていく人もおり、
話しかけられたりもするのですが、「日本一周・・・出たばっかりなの?」とか言われたり(^^;)
昨日も書いたとおり、ちゃんと「2005.7.20鹿児島出発」と書いてあるのですが、
そちらは「日本一周」の文字に比べると小さいですし、
しょうがないんですけどね・・・(^^;)
それと、近くに保育園があって送迎の人たちもちらほらと。
昨日、園児の母が別の園児二人を刺殺したという事件があったばかりですので、
警戒レベルが高く、怪しまれたりしないかなぁ?と思ったのですが、
そんなことは無かったようです。しかし・・・本当に嫌な事件ばっかりで。
父親が号泣したと言うニュースには涙が出そうになりました。
お悔やみ申し上げます。

さて、撤収を済ませると、近くにはナビによると「鉄砲伝来碑」があるとの事、
詳しい場所は分からなかったのですが、裏手に丘があったので、
そっちのほうかと思って行ってみました。
昨日の日記で「気候はそう変わらないかな?」と書いたのですが、
道の途中にガジュマルの木が生えていて、ソテツは本土でも見ますけど、
ガジュマルはなかなか見ないなぁ、とやっぱり違いを確認。
その先には、碑が二つありました。
その説明板。向かって右がおそらく友好記念碑、
左が親交記念碑だと思います。近くの広場ではご老人たちがグラウンドゴルフをやっており、
また、展望台でしょうか?二階建てでテントも十分張れる広い屋根つきオープンスペースがあったのですが、
二階に登って見ても、目前の樹木が邪魔をして景色はあまり見えませんでした。

で、VFRに戻って出発します。
早速、昨日も買い物したエブリワンで朝ごはん。
昨日も書きましたが、惣菜やパンをおそらく自店内で作っており、
そのせいかおにぎりが普通のコンビニとは違って、
海苔でご飯と具を直に握った物しかないので変な感じです。
という訳で、ちょっと食べたいなぁ、と思う物が無く、
朝からたこ焼きとおにぎりも一つ、飲み物も合わせて購入。
それとここにはテーブルと椅子もあるので、0円マップ持ち込んで、
読みながら食べていました。島内に食事処とか少ないから、
ここで食事が出来るようになっているということでしょうか?
まず間違いなくエッジが通じると思うので、アップするのに良さそうですが、
エッジが通じるところは島内ここだけではありませんし、
ここは島では北のほうですが、キャンプ予定地は南の方で、
おそらくそちらにも姉妹店があるでしょうし、エッジも通じると思いますので、
わざわざここまで来てアップするという機会はなさそうです。

ご飯が終わったら、西之表港へ。
今回は特に思い出して持ってきたものがありました。
甑島から帰ってきたあとの日記に書いていますが、「鹿児島県の歴史散歩」です。
それによると、西之表港に着くと「おじゃり申せ」の石碑が目に付く、という事。
私も自分のことを薩摩隼人といいながらも、鹿児島弁というのは良く分からないのですが(^^;)
たぶん・・・県本土の言葉では「ゆくさおじゃったもした」が、
「ようこそいらっしゃいました」という意味だと思われるので、
(そう書いてある看板が結構道路わきに立っているんですよね)
「おじゃり申せ」も「いらっしゃいませ」という種子島の言葉でしょう。
という訳で、「おじゃり申せ」の碑
高速船トッピーの乗り場前の広場にありました。
考えていた物とは違って、「おじゃり申せ」より後ろのオブジェがメインになっていますが、
こちらはポルトガルより贈られた「海の男の像」だとか。
1970年の大阪万博の際、ポルトガル館の入口に展示されていた物だそうで、
万博終了後にこの地に贈られ、その除幕式はポルトガル大使を招いて行われたとか。
周囲は噴水になっており、その脇には、
「種子島全島民に捧ぐ 出会いと友情の再確認を記念して マカオ文化学会1988年7月」
という碑文もありました。かっこいい碑文ですけれども、除幕式は1971年との事・・・
再確認を記念して、何をしたのかはちょっと分かりません。

それで、ここは島の玄関口らしく、いろいろ案内板が立っています。
その一つ、ロケット打ち上げのお知らせ
オレンジ色の部分が立ち入り規制区域です。
ま、ここあたりの情報は既に入手済み。先にも書きましたが、
射点から左にずっと行った宇宙ヶ丘公園で見学&キャンプ予定です。
あとは観光案内板とか、NHK朝の連続ドラマ「まんてん」の案内とか。
「まんてん」とか見たこともありませんが・・・
「まんてん」の案内+「ここはどこどこです」という看板は、
今日だけでも、走りながら二つ三つぐらい見かけました。
で、観光案内板を見てみると、鉄砲伝来時の種子島島主、種子島時尭公の像があるとの事、
その他、いくつか目星をつけて行ってみました。

像は「榕城中学校」の近くにあるとの事、
ナビは学校は大抵入っているので、案内させて行ってみます。
到着して像も無事発見出来たのですが、
その目の前に種子島博物館の資料を現在収蔵している、
種子島開発総合センターがあったので、駐車場利用も兼ね、
先にこちらに入館して見ることにしました。
ロケット打ち上げ当日でもあり、駐車場は広くは無いのですが混んでいて、
JAXAのマークが書かれた紙をフロントガラス裏に標示してある車もいました。

入館すると、「ウシウマ」なる動物の模型と骨格標本が出迎えてくれます。
禿馬とも言われるともあったでしょうか、その名の通り毛の無い馬だそうで、
夏は蜂、虻、蝿等の攻撃を払うことも出来ず、見るも哀れな有様だったとか。
昭和の初期だったかな?天然記念物に指定され、天皇の高覧に預かるも、
程なくして絶滅してしまったんだそうです。
で、受付を済ませて「私たちの種子島」というビデオを見るのですが、
ここで驚愕することがありました。
種子島の名前の由来で、初めて稲作が行われた地であること、の他に、
アイヌ語で「長い」を意味する「タンネ」から、というナレーションが流れたのです。
えっ、アイヌ語由来ってここ本州も九州も通り過ぎた種子島なんですけど?
どういうことなのか・・・もちろんそれが確定したというわけではないでしょうが、
青森県で「日本中央の碑」を見て以来興味を持ったかつての日本国の広がり・・・
犬吠埼のアイヌ語由来説でさえ驚いたのに、こんな南の地までそんな由来があるとは・・・
本当に驚きました。

それから館内を見てまわるのですが、様々な分野にわたって詳細な展示がしてあり、
なかなか興味深かったです。中世の人々の一生や、風俗信仰といった物も詳しく書いてありました。
これまで、そういうところは無かったと思われるのですが、
館内撮影禁止だったので、それを手元の資料として残せなかったのは残念です。
種子島は鉄砲伝来が歴史上では突出して有名なわけですけれども、
日本最古の文字だという「山」の字が刻まれた貝符が出土していたり、
現在我々が使っているはさみは中間支点式というそうですが、
種子鋏というはさみはその始まりだったり、天声人語の名付け親の出身地だったり、
(おそらく)大関が最高位だった頃の横綱がいたり(西の海)、
種子島もなかなか奥が深いようです。
歴史だけではなく、サーフィンのメッカだと聞いたこともありますし、
ロケットの打ち上げ基地もあるわけで。
そうそう、なぜ種子島に打ち上げ基地があるのかといいますと、
つくばのツアーのガイドさんの受け売りなのですが、周囲が海という条件が必要なのと、
ロケットに地球の自転の力を出来るだけ加えるために、
赤道に近いところから打ち上げた方がいいんだそうで。
ではなぜ沖縄ではないのか?というと、当時沖縄は占領下だったからだそうです。

ちょっと話がずれてしまいましたが、館内をそのまま進むと、
鉄砲伝来物語のジオラマシアターを経て、
ポルトガルから始めて伝わった銃や、国産第1号の火縄銃をはじめとする、
古式銃のコレクションに。ここで父と子の二人組みがいたのですが、
平気で写真撮ってるし・・・ちゃんと撮影禁止って書いてあるのに・・・
全く、と思いつつ・・・私は2005年ゴールデンウィークの中部北陸ツーリングにて、
近江の国は国友村の、こういう鉄砲関連の資料館にも行ったことがあるのですが、
そことここで重複するのは、銃筒の後端部を塞ぐのにねじをもってするのですが、
当時の日本にはねじという概念すらなく、その製法に苦労したという話。
国友村では、大根をくりぬく様子から思いついたといわれ、
種子島では鉄砲伝来から一年後にやってきたポルトガル船に、
鍛冶屋が乗っており、そこで教えてもらったとか、
昨日も書きましたが、若狭という刀鍛冶の娘が父親のことを思いやって、
ポルトガル人に嫁ぎ、その製法を聞きだしたとか逸話はあるようです。
ねじというのは、現代日本から見たらどうって事無い代物ですけれども、
江戸時代においてでさえあまり使われず、鉄砲の値段の何割かを占めたそうで、
その普及には近代工業化における、規格の統一まで待たねばならなかったとか。
なるほど〜、と思いつつ・・・
そうそう、このコーナー最初のジオラマシアターでは、
若狭の逸話について断定せず、もしかしたら純愛だったのかも、とあいまいな表現。
ジュリエットとも表していてそれはちょっと笑ってしまったのですが、
まぁ国際結婚の先駆者という事実に変わりは無いようです。
後年、島に帰ってきたらしいのですけどね。
銃はたくさん並んでいるのですが、それはあまり細かくは見ずに建物を出て、
種子島時尭公の像を見に行きました。
所在地は現在、中学校になっているのですが、かつては赤尾木城と言うお城だったそうで、
アコウの木がたくさん生い茂っていたのでそう言われる様になったとか。
種子島時尭公像
左手に銃を持っているのがお分かりになると思います。
伝来時、16歳だったそうで、金二千両を出して買い取らせたとか、
その国産化を命じたとか、なかなか今の16歳で出来ることではないですね。
で、この像はちょっと高いところにたっているのですが、
そこから眺める種子島開発総合センター
ご覧の通り、南蛮船を模しているようです。

で、ここからVFRまで信号の無い横断歩道を渡って戻るのですが・・・
車が通り過ぎるのを待っていると、教習車がちゃんと止まってくれました。
運転席の高校生の女の子、得意そうな顔をしていましたが(笑)
この教習車が止まるまでは車止まってくれなかったので、
大事なのは免許とってからだよ、ぜひその運転を免許取ってからも続けてね、と思ったことで。
私ですか?こういうからにはもちろん止まりますよ。
後続車がいなくて、私が通り過ぎたら車がいない、という状況では行くこともありますが。
そういうときに止まっても、歩行者が横断を迷う時がありますしね。
気づかないで走りすぎることももちろんあるでしょうけど。
以前普通に走っているときですが、信号待ちをしているときに、
左折する白バイが、横断歩道を渡っている歩行者が渡りきるまで、
後続車を左手伸ばして制止しているのを見て、かっこいいなぁ〜、と思ったことがあります。
私もそういうバイク乗りになりたいものです。

そこを出発してから、次は八板金兵衛の像を見学。
種子島時尭が国産化を命じた刀鍛冶の一人です。
先ほどの総合センターに書いてあったのですが、
時尭が国産化を命じたのは一人ではないのに、金兵衛の名のみが伝わっているのは、
その製品、命中率が優れていたからではないか、と。
それから種子島は古来より砂鉄が豊富な島で鍛冶技術が発展しており、
これは日本全体に言えるのですが、国産化の成功とその瞬く間ともいえる伝播は、
その優れた鍛冶技術あってのもので、他の国でこういう例は無いそうです。
この像の裏の碑文には、「娘若狭を嫁がせ、螺子の技法を習得した」と書いてありました。
それから近くに、その若狭の墓と句碑があるとのことで、
見に行こうと思ったのですが、あいにく観光案内板のあいまいな地図を見ただけですし、
案内標識等も見当たらず、分かりませんでした。
まぁいいか、と思ってとりあえず宇宙ヶ丘公園へ行くことに。
西之表から伸びる国道58号線を南下します。
国道58号というのは、「海の道」でありまして、
確か基点は鹿児島市の照国神社前にあったと思うのですが、
そこから港へ、種子島、奄美大島を経て沖縄まで延びています。
走っていると、西之表はそこそこ市街地がありますし、
(「歴史散歩」では「詩情漂う美しい町」とありましたがあまりそういうイメージはなし)
コンビニは昨日発見しましたが、走っているとゲオまであったりして、
うーん、甑島と違ってあまり離島という感じが無いなぁ、と(^^;)
まぁ、人口4万人ぐらいだそうですので、甑島の5倍な訳ですけどね。
土地の割には人が少なく、人が温かいこともあって移住者が多いんだそうです。
サーフィンのことは先ほど書きましたけれども、
サーファーの人たちも波を求めて移住してきて、
とは言っても離島の事にて仕事はなし、農業を始めて
「サーファー米」という米を売り出したというニュースを聞いたような。
確か種子島のことだったと思います・・・
裏づけとったわけでは無いので、もしかしたら違うかもです(^^;)

で、そういう風に走っていると、道が海沿いになって、
そこはさすがに島に来た!という感じがするところでした。
海の向こうに島影が見えたのですが、屋久島ではなく、
馬毛島という無人島だと思われます。
そこからは、いろいろ見るべきところもあったのですが、
島内観光の時間はちゃんととってありますし、とりあえず今日は先に走ります。
道は片側1車線でしたが、整備された走りやすいところでした。
考えてみたら、ロケットの部品とかどうしてるのかな?という感じですけど、
それは打ち上げセンターも海沿いですし、専用の船で運ばれてくるのでしょうか?
で、中種子町を経て南種子町へ。
南種子町もエッジが通じるところがあって、中心部かな?と思っていましたが、
そこもちゃんとエブリワンがありました。
よしよし、と思いつつもとりあえず通り過ぎて宇宙ヶ丘公園へ。
国道は途中で港の方へと曲がっているのですが、
そこをまっすぐ走って道なりに行くと、無事公園へ到着。
打ち上げは3時半頃で、まだ1時過ぎだったのですがすでに人がいます。
テントでも張って待っていようかな?とも思ったのですが、
なんかキャンプ場の位置が良く分からず・・・
まだまだ時間はありますし、規制区域の入口がどんな感じなのかと興味があり、
周囲の偵察もかねてまた走り出します。

ちょっと走ると、テニスコートと大きな空き地みたいなところがあり、
テントが一張り張ってありました。「ここなのかな?」とチェックはしたものの、
とりあえず規制区域入口目指して走ります。
最初は、射場への入口に行きたいなとも思っていたのですが、
走っていると、管理棟の近く、竹崎警戒所に着いたようでした。
途中、工事中のところがあってダートだったので辟易しましたが・・・
カーブを曲がると不意に現れた、という感じでしたが、
こちらは普通に施設内への門のようです。
他のところは、射点から4kmだったか、距離で規制点が決まっているようなので。
ライトセーバーで遮られるような動きをされたのですが、
その前でUターンしてVFRを停めます。
すると一人、係員の方が寄ってこられ「見学の方ですか?」と聞かれたのですが、
こちらは全て承知でここまで来ていますので、そういうことを説明。
「見学する場所ご存知ですか?」と聞かれましたが、それはさっき寄ってきています。
で、元からそのつもりだったのですが、念のため「写真撮っていいですか?」と聞いてみると、
構いませんよ、とのことでした。
竹崎警戒所の様子
パトカーとかいないので、あまりらしくないでしょうか。
ここに入ってくる交差点に交番があって、その間でパトカーが走っているのは見たんですけどね。
ちょっと残念でしたが、しょうがないので戻ります。
南種子町の市街地に戻り、さっき見たエブリワンでご飯を食べました。
ちなみにここもテーブルと椅子があって、カウンターみたいな窓際の長いテーブルに、
10脚ぐらい椅子があったと思うのですが、それがほとんど埋まるほど人がいました。
ちなみにカツカレーを食べたのですが、カレーの量が少ないと思った物の、
カツはそこそこ美味しかったです。
ちなみに町内には打ち上げ成功祈願の横断幕が一杯ありました。

それからまた宇宙ヶ丘公園へ戻り、さっきテントが張ってあった場所まで。
しかし、ここがどうもキャンプ場らしくない。
公園の入口の施設案内に「キャンプ場」とあって、
キャンプ場があることは間違いないのですが、園内案内図が無いのです。
脇にちゃんとトイレはあるのですが・・・
明日は雨とのことで、テント張る場所も選びたいな、と思い、
いろいろ見てまわっていると、交通案内要員でしょうか?
ライトセーバーもった消防団員がやってきて、
張ってあるテントに「もしもーし」と声を掛けています。
やっぱここじゃないんだな、と思って場所を教えてもらいました。
「建物過ぎて、道を入る」といわれ、その通りにしたのですが、
やっぱり見つからず・・・炊事棟らしき建物はあったのですが・・・
で、もう一回打ち上げ見学所の近くに戻り、
先ほどとは違う消防団員に聞いてみると、「キャンプ場は無いと思うよ」、と(笑)
いやいや、公園入口の施設案内にちゃんと書いてありますし、
「あると思うんですけど」と言うと、「役場の人に聞いてみないと」との事。
で、近くにその役場の人がいたのですが「どこでも張っていいですよ」とのことでした。
「申請して貰わないと」とも言われましたが、それはちゃんとしてありました。

VFRをとりあえず広場近くに入れて、走っていたときに見えた満開の花を見に。
なんだろう?桜は早い気がするし、梅かなぁ?と思っていたのですが、
木の肌は桜っぽい気がしますし・・・
詳しくないので良く分かりませんが(^^;)彼岸桜というヤツでしょうかね?
ズームさせて、アマチュアカメラマンみたいな写真も撮って見ました。
それから園内見学がてら歩き回って見学する場所まで。
さっき来たときにはなかったスピーカーが設置され、
時々、何分前、と言うことでしょう、「エックスマイナス60分」とか言っていたりします。
見学所と言っても、距離は結構ありますので遠くに見えるだけ、なのですが・・・
こんな感じです。写真じゃほぼ分からないかな?
左のレーダーみたいな物は、打ち上げ場とはまた違う施設です。
手持ちのデジカメの最大ズーム、12倍してみても射場はこれくらいの物です。
それでもだんだんと人は増えてきて、報道のカメラとかもいました。
で、しばらく待っていると本当に人が増えてきて、
公園の駐車場だけでは足りず、警官が交通整理にやってきて、
先ほどの広場を駐車場にしているようでした。
時間が進むにつれてカウントダウンしていくわけですけど、
普通は「480、470、460・・・」という10ごとのカウントなのですが、
時々、「460、59、58、57・・・」とか言ったりして、なぜそうするのかな?と。
数字はあくまでも例えなのででたらめですけど。
山火事防止のためなのか、バケツ提げたヘリコプターも飛んで来て、
そういうのを見てたりするうちに、カウントはいよいよ進み、
ついに発射!このカウントの様子・・・それとともに、
「全システム準備完了、オールシステムゴーレディ(ゴーと言う部分が違うかも)、
メインエンジンスタート、メインエンジンイグニッション
SRB-A(固体ロケットブースターのこと)点火、リフトオフ!」との声が流れ、
その様子がまた良いので、(斜体は英語と思ってください)
写真は撮らず、デジカメで動画撮影していました。
46秒ほどの動画なのですが、これが16MBありますので・・・
本土に戻ってブロードバンド環境になり、
ついでに私がそれを見せられる術を習得したなら公開します(^^;)
と言うわけで、今はロケットが打ちあがったあとの白煙写真のみ公開。
ご覧の通りの曇り空にて、ロケットはもうすぐ雲に隠れて見えなくなったんですけどね。
そうでなくとも、ほぼ火柱だけしか見えなかったのですが、
それでもやはり、日本の科学技術を結集したロケットが、と思うと見てよかったと思いました。

ロケットが見えなくなると帰りだす人も多かったのですが、
私は別にやることも無いので、そのまま放送を聴いていました。
小笠原局でロケットを追尾し、それが出来なくなると空白の時間があってから、
クリスマス局(クリスマス諸島にあると言うことでしょう)での追尾に移ったり、
第2段エンジンが一回停止してから再点火したり。
時々、地上何キロメートルにあり、秒速何キロメートルで、と説明してくれるのですが、
秒速およそ6.7kmとか・・・考えられない世界ですね(笑)
そういえば、動画を見てもらうと分かるのですが、発射の轟音はかなり遅れて届き、
その距離の遠さを実感したりもしました。
で、そのうち衛星を切り離したとの放送があり、
そのバックでは拍手と安堵、互いをねぎらう声で満ちていました。
と言うわけで、H2Aロケット9号機、運輸多目的衛星新2号の打ち上げは無事成功(^^)
良かった良かった。
そこで放送も終了したので、また園内を見学。
あんまり良さそうな場所もなく・・・結局一番広い広場に張ることへ。
それと、近くの「郷土館」という資料館みたいなところを見学。
小学校の資料室みたいなところで、小学生の学習発表みたいな物もありましたし、
資料も古ぼけた物が多かったのですが、丸木舟の作り方、と言うのは興味深かったです。
そこを見終わると、まだ5時前でちょっと早いかな?とも思ったのですが、
あいにく雨が降ってきそうな曇天で、テント張ることにしました。
しばらくここにテントを張るわけですから、
場所も考えていつもより丁寧に張ります。
最初はそんなおなかすいてないかな?と思って、
コーヒーだけ淹れて日記を書いていたのですが、
6時前ぐらいから、フライに雨が当たる音がするように。
そんな強い雨脚じゃないみたいですけど、
早めにテント張っていて良かったです。
そのうちおなかもすいてきたので、いったんパソコンを落として、
また乾麺のうどんでご飯にします。
それからまた日記を書いていると彼女から電話があり、
また携帯の電池がなくなるまで電話(^^;)
電池の消耗が早い件、バックライトを一番暗い状態に昨日からしたのですが、
だいぶ、改善されたような気もします。
電話が切れたらまた日記を書いていましたが、
書き終わらないうちにパソコンのバッテリも切れたので寝ました。

本日の走行距離

75.3km

本日の宿

宇宙ヶ丘公園キャンプ場

本日の家計簿

エブリワン朝食599円
種子島開発総合センター入館料420円
自販機コーラ120円
エブリワン昼食847円


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