2/20(月)

行程

宇宙ヶ丘公園キャンプ場〜島間港〜喜鹿崎灯台〜増田宇宙通信所〜宇宙ヶ丘公園キャンプ場

今日も雨は止んでいませんでした。
起きたのは7時半くらいだったのですが、
島と言うことは海の風景が多いわけでして、太陽光が足りないと良く無いよなぁと思いつつ、
ちょっと早いかな?と言うのもあって、コーヒーを淹れて昨日貰った資料類を見ながらゴロゴロ。
雨は昼ごろには止むという予報だったのですが、
昼までこうしているわけにも行かないよな、とも思い、
雨用装備をして出発したのは9時過ぎでした。

とりあえず日記のアップをしようと言うことがありました。
近い方のエブリワンもエッジは通じると思うのですが、
昨晩日記を書き終えた時点でバッテリ残量はほぼなかったので、
そこだとまだ十分に充電されて無いよな、と思い、
西之表のエブリワンで朝食兼アップロードをすることにします。
南種子町の中心部から、船で運ばれてきたロケットが陸揚げされるという、
島間港へ向かいます。屋久島行きのフェリーもここから出るので、
ダイヤを確かめたいと言うこともありました。
通るのは国道58号線なのですが、この道をロケットも通るのか!と思うと、
なんか走るのが楽しくなってきます。
片側一車線ですが、整備され走る車もほとんど居らず快走できました。
種子島は最も高いところでも標高が300m無いという事で、
全体的になだらかな島であり、道もそれを反映してか、
カーブや勾配はそう多くなく、直線道路も多いような気がします。
旧石器時代の調理場跡が見つかったと言う横峰遺跡の説明板を見てから島間港へ。
フォークリフトが一台走っているだけで、
あとはあまり人気の無い感じ。目的としてきたフェリーのダイヤも、
待合所とかが良く分からなかったので、電話して聞けばいいことだし、
とりあえず先へ進むこととします。
その前に、港に来る道がなだらかな坂を下りながらの直線で、
走っていると海が目の前に見える、といい感じだったので、戻って写真を撮って見ました。
ご覧の通り、空はもう晴れてきており、
グローブもレイン用から通常用に換えたのでした。

それから、海沿いを走る県道588号を通ろうと思って、
島間の集落の中を北へ走ります。
すると何か碑があって「伊能忠敬」と見えたので、停まってみました。
「伊能忠敬種子島測量上陸の地」碑
考えてみたら、まだ交通機関も発達していないはるか昔に、
いろんなところに来てらっしゃるのだなぁ、と・・・
海岸線は全て測量されたわけですから当たり前なんですけど、
何か行く先々で先回りされているような不思議な感覚がします(笑)
そしてまた北上していくと、「貫門」だったかな?
なにかあったので停まって見ました。
まぁ、ただ木の柱二本の上に横木を渡しただけの簡素な門なのですが、
秀吉の朝鮮出兵の際、島津軍の水夫をしていた人が、
明軍に網で船の行く手を阻まれたのが、その網を切り破って船を進め、
その功によって特別に許可された物であるとか。
姓も「網切」だったので、それに由来するのでしょう。
それはいいとして、ここでインナーリアフェンダを吊っているフックが取れかかっている事に気づきました。
付けたときは、貼り直しが利かないほど強力な粘着力で、
さすが、100円ショップのものとは違うなぁ、と思ったものですが・・・
水や泥が跳ねる場所にて、さすがにダメだったようで。
まぁ、水の掛からない場所でご利用ください、と書いてあったんですけどね(笑)
しょうがないので外して、また走り出します。

小さな集落をつないで道は走ります。
島はサトウキビの栽培が盛んなのでしょうか。
植えられているのも見ますし、ちょうど今収穫の時期なのか、
収穫されて集められた物も良く見ます。
ついでに運搬中に落ちて、車が踏んでいったような物もちらほらと(笑)
少しは晴れ間ものぞいていましたが、やはり雲の多い天気にて、
海が見えるところもそんなにきれいに見えると言うことはありませんでしたが、
やはり海の雄大さと言う物を感じたりもします。
道は国道(島を走る国道は58号だけです)に合流し、
今度はその国道を北上。この北上中は進行方向に結構青空が見えました。
しかし、青空というのはいつ見てもいいもので。
知床の観光船の中だったか、「知床の空を来た人みんな褒めて下さる」とか言ってましたが、
確かに知床の空は良かったのですが、どこでだっていいよなぁ、と。
私が知床の空をもう忘れてしまっているだけかもしれませんが(^^;)
自分の旅日記を読み返しながら、写真を見ると、
青空の写真はいつだっていいと思うのですけどね。
たぶん、知床に来た人は旅行中という事で精神状態がいつもと異なっており、
だから空の良さにも目が届くのであって、日常生活してるときには、
自分が暮らしている場所の空の良さに気づかないだけなのでは?とか思いながら走っていました。
私はずっと旅人なので(笑)実家にいるときも空をよく眺めていたりもしました。
で、「雄龍岩・雌龍岩」と言うところに来たので駐車場に停まり、
その空の様子を撮ってみました。
あまり・・・分かって貰えない写真でしょうか(^^;)
写真の撮り方が良くなかったかな?上空の青い部分と、
低空の薄い部分の対比がいいなぁ、と思っていたのですけどね。

さて、それはさておき「雄龍岩・雌龍岩」。
駐車場からそちらの方へ歩いていくと、「離島戦隊タネガシマン発祥之地」碑が(笑)
そういえば、聞いたことがあるなぁ、と・・・
青年団かなにかの企画で、幼稚園とか回ってるとか。
記憶で書いている不確かな情報なので、本土に帰ったらリサーチしてみようと思います。
先ほどの写真にも写っていますが、「雄龍岩・雌龍岩」(おたついわ、めたついわ)。
と、その説明板。どの角度から見ればいいのか?と言うのは良く分かりませんが、
言われてみれば、そう見えるかあなぁ?と言う感じもします。
人間の想像力と言うのも本当に豊かな物です。
それからは、西之表市街のエブリワンまで走り、そこでアップロード。
ここですることはなさそうだ、と先日書いたばかりですが・・・
あまり、余計なことは書くものじゃありませんね(笑)
画像の数がやはり多かったので、時間かかるかな?とも思っていたのですが、
ご飯を食べながらだと、あまりそういう感じもありませんでした。
このエブリワンの特徴は先日書きましたけれども、
なにか食べる物が揚げ物ばかりになっていますし、全体的に高めについているので・・・
もちろん、私がそういう風に買ったと言うことですが、
ちょっと、困り物かも知れません。
アップロードを終えて外に出ると、もうお昼ですし予報だと今から晴れてくると言うことで、
また雨も降っていなかったので、レインスーツの下だけ穿いてきていたのですが、
(ジャケットは防水なので)脱いでから出発しました。

とりあえず、島の北端を目指して走ります。
国道は西之表〜島間までなので、ここあたりは県道です。
途中に、「浦田海水浴場」というところがあるそうなので、
海がきれいかな?と思って寄ってみました。
実際はきれいだったのですが、写真だとやはり光が足らないようで、
あまり良くないようです・・・浦田海水浴場
日本の水浴場88選のうちの一つだそうで、砂浜としては狭い気がしましたが、
きれいな小貝がたくさん見られるなかなかのところでした。
立派な管理棟もあって、夏はキャンプも出来るようですが、
時期が時期にて人気はなく、寂しいところでした。
それはそうとして、ここあたりからまた雨が降ってきました。
うーん・・・と思いつつ、何がいやかって路面が濡れて滑りそうなことなんですけど、
とりあえず、グローブはレイン用にしてまた走り出します。
今度着いたのは、種子島の最北端「喜鹿崎」(きしかさき)です。
県道から脇道に入っていくのですが、ちょっと風があり、
甑島でのことがトラウマになってるようで、かなりびくびく(^^;)
灯台はそう大きな物ではなかったのですが、周囲にあまりスペースもなかったので、
近くからだと全体像は撮れず、戻りがてらに写真は撮りました。
それと、灯台の近くから眺める島の北端の様子
ここから先に鹿児島県本土が広がっているはずですが、
ご覧の天気にてよく分からず・・・晴れていたら見えるのかどうかも分かりませんけどね。
この海峡は「大隈海峡」と言うそうですが、流れが一定しない航行が危険なところだそうで、
また、各国の貨物船やタンカーが自由に航行できる特別海域なんだそうです。

そこから県道に戻って今度は南下します。
先ほど知床のことを思い出したためか、稚内の宗谷岬のことを思い出していたり。
そういえば、あの時も雨だったなぁ、と思いながら・・・
島の東岸は黒潮の波に洗われて海食洞がいくつか見られ、また奇岩怪岩の多いところだそうで。
県道は場所にも寄りますが、かいがんからちょっと入ったところを走っており、
普段は県道を走りながら、興味がある海岸には入っていく、と言う感じになりました。
日が照っていたらきれいだったろうなぁ、と言うと所をいくつか通りながら、
最初に降りて行ったのは「鉄浜海岸(かねはまかいがん)」
島が砂鉄が多いところだと言うのは、先日書いたと思うのですが、
名前からしてそれが最も分かるところなのかな?と思ったのです。
下りて行ってみると、海岸にはレストラン&コテージと言う施設があり、
また海では4人ほどサーフィンをしている人たちがいました。
雨が降っていたのですが・・・どうせ海で濡れるから関係無いという事でしょうか。
それはさておき、やはり砂鉄を含んでいるためか黒っぽい砂が見られました。
それと、こんな感じで、岩岩が連なっていました。

二番目は「舞床海岸」と言うところ。
こちらは降りて行くと、小さな漁港と言う感じになったのですが、
1885年(明治18年)に、アメリカのカシミア号と言う船が遭難、漂着したところにて、
「米國人漂着地趾」の碑が建っていました。
ま、それを見るために行ったんですけどね(笑)
集落挙げて救助活動をしたらしいのですが、それが彼の地の人に大変感謝され、
金のメダルと都市の鍵、金5千ドルだったかな?贈られたんだそうで。
都市の鍵というのは、ヨーロッパや中国の中世の都市は城壁で囲まれていましたが、
その扉の鍵という事で、例えば都市に対する征服者、戦勝者に渡され、
都市の財産は全てあなたの物です、と言うことから転じて、
栄誉市民のシンボルみたいな物でしょうか。
西之表の「種子島開発総合センター」に実物が展示してあり、
ちゃんと説明もしてあったのですが・・・ちょっと説明がうまく無いかもですね(^^;)
雨は断続的に降り続いており、ここでもう一回レインスーツの下を穿いたのでした。

県道を走っていくと、海沿いを走っていくところがあり、
ちょっと高いところを走っているようで、そこからの風景が良かったので、
写真を撮ってみました。
写真の右側枠外に、難破船でしょうか、朽ち果てた船がありましたが・・・
そこからまた走っていくと、県道から降りていく三番目、
「犬城海岸」の「馬立の岩屋」へ。
県道から2kmという事だったのですが、この道がセメント舗装の道で、
雨で濡れていますし、勾配もそれなりに急で、でこぼこも多く、
走りにくい道でした。ガードレールも当然ありませんし。
で、砂浜について、岩屋のほうへ行くのですが、
ここは黒潮の影響でしょうか?サンゴの残骸が良く見られました。
で、馬立の岩屋と、その説明板
写真だと、岩屋の様子はよく分からないですね・・・
Yの字のような洞窟で、二つが海に向かって開けている感じです。
手前の口から、奥の口を見た様子
奥の口に出て、手前の口を見た様子
もう一つ、二つの口の奥のほうへ岩屋は広がっていましたが、
そんなに長いと言うわけでもなく、目が慣れたら奥行きが分かるくらいです。
まぁ、説明板によると、かなり遠いところまでつながっていると言うことですから、
どこかに入口があるのかも知れませんけど・・・
写真も一応撮ってみたのですが、フラッシュのタイミングが良くないようで、
上手く撮れなかったので載せません。

悪い道を注意して戻り、また先へ進んでいくと、
左側に鉄柵が現れ、ナビ上に「NASDA」の文字。
おっ、なんだなんだ、と思って門の前まで行って見ると、
現JAXAの「増田宇宙通信所」で、平日は展示室見学可という案内があり、
雨も降っていることだし、雨宿りにもちょうどいいかとも思い、
寄ってみることにしました。まぁ降ってなくても寄ったと思いますが(^^;)
あまり人が来るところでもないようで、展示室もそう大きくはなかったのですが、
ここで一つ発見あり。先日「LRB」とはなにか分からないと書きましたが、
「液体ロケットブースタ」のことであり、つまり「L」はリキッドの意味。
(「SRB」の「S」はソリッド)
ちょっと資料が古いみたいで、H-2Aロケットは標準型と増強型のみ紹介されていました。
増強型の写真
標準型が、先日書いたパターンで言うとH-2A202であり、
増強型が、H-2A212と言うことになるのでしょうか。
ふむふむ、と思いながら・・・
あと、かつての3団体がJAXAに統合されたときの告知タペストリがあり、
これほしいなぁ、とか思ったり(^^;)
そうそう、入室は要記名なだけで無料なのですが、
入室すると女性職員がやってきて「記念品ですのでお持ちください」と、
いろいろ入った封筒を渡されました。パンフレット類が多かったのですが、
ハンドタオルが一枚入ってまして、無料の上に記念品までもらえるとは・・・(^^)
そのほか、職員を呼んでくださいとの事で、私はやりませんでしたが、
巨大なアンテナを動かす体験が出来たり、宇宙関連の素材を背景にしたプリクラを撮れたり(無料)、
個人的に一番良かったのは、まともなデザイン(笑)の、「種子島宇宙センター」のステッカーがあったこと。
これももちろん無料。その他いろいろパンフレット類も貰って退室。
そうそう、館内の自販機は120円のジュースは普通に120円なのですが、
500mlのペットボトルもなぜか120円で、買って飲んでいました(^^)
あ、ちなみにここの役割はと言いますと、衛星から送られてくる様々な信号を受信して、
つくばに送信することです。つくばからの指令も衛星に送信します。
巨大なアンテナが五つありました。

増田宇宙通信所のアンテナ群

それからまた走っていくと、県道は島の地理的中心部で一端国道と合流するようで、
そこからまた脇道に入ってみます。
雨は降り続いていますし、夕方も近かったので、
もうテントに帰ろうかな?と言うのもあったのですが、
あともう一ヶ所、千座の岩屋(ちくらのいわや)だけ見ることにします。
名前の通り、千人座れるといわれることから名づけられたそうで、
どんな巨大な物か?と楽しみにしていました。
私が到着すると観光バスが2台停まっており、通常なら嫌なのですが、
洞窟を見ると言うことで、一人では寂しいしちょうど良かったかも、
と思いながら行ってみました。団体客は帰る途中で、結局一人で見ることになったのですが(^^;)
神聖な場所のようで鳥居があり、その先の岩山の下に、洞窟が三つ口をあけていました。
一の口
二の口
三の口
名前は便宜上、私が付けたものです。
想像していたような巨大な物ではなかったので、それは拍子抜けだったのですが、
三の口を通り抜けてみると、途中に支洞のような物があり、
そちらがおそらく二の口につながっている様子。
三の口の出口の脇にはもう一つ出口があり、これはおそらく二の口の出口でしょうから、
二の口と三の口はちょうど「H」の字のようにつながっているんだと思います。
一人で寂しいので、確かめてませんけどね(^^;)
あとから確認したところ、ちゃんと大きなところもあるようで、
もしかしたら一の口がそれかもしれません。

それから、南種子の中心部に戻るには、
宇宙センターを通るのが、使った道でもあり分かりやすいし、
また通り抜けてみたいと言うのもあってそうしてみました。
道路わきにセンターの標示と注意書きがあるだけで、
本当に普通に通り抜けられました。
テロ対策とか大丈夫なのかなぁ?と思ったり・・・
立ち入り禁止のところはちゃんと防備してるんでしょうけどね。
で、南種子の市街地に戻り、信号機が本当に回る構造になっているのを確かめたりしつつ、
エブリワンのせいで(^^;)なんか食事が揚げ物ばかりなので、
島の刺身でも食うか!と思って、朝所在を確認していたAコープに行ってみました。
そうそう、南種子の中心地の横断幕は、ちゃんと
「9号機打ち上げ成功おめでとう」と書いてありました。
刺身は「とびうお」と「ぶり」と「かんぱち」とあったのですが、
(たしか、いずれも種子島産でした)
「とびうお」(って一般的ではないかな?ひれが羽根のように長く、
その名の通り、イルカのように飛ぶようにジャンプする魚です)
は0円マップによると屋久島名産らしいし、
私も子供の頃はよく焼き魚とかで食べていた記憶があるものの、
そういえば最近食べて無いなぁ、と思ってとびうおの刺身をチョイス。
それとラーメンに入れるかと思って卵と、ビールを買って帰って来ました。

ご飯を炊くためにお湯を沸かしながら、とびうおの刺身を食べたのですが、
なぜ最近あまり食卓に上らないのか分かったような気がしました。
はっきり言うと、あまり美味しくないのです(笑)
あじに近いと思うのですが、あじのほうがおいしいし、
かんぱちやぶりと比べても、そちらの方が美味しいでしょう。
おそらく、鹿児島県の養殖技術が進化して、
かつては養殖できなかった「ぶり」や「かんぱち」が養殖できるようになり、
庶民の食卓(笑)にも上るようになったからかな?と・・・
あくまで想像なので、事実かどうかは分かりませんけどね。
さて、今日は暖かくて風がなかったからでしょうか、
イワタニのボンベでもちゃんとお湯が沸騰し、
ラーメンにも卵を二つ入れて食べました(笑)
それはいいのですが、ビールを500ml缶飲んだのがいけなかったのか、
なんだか眠くなってきまして・・・
ま、いいか、と日記書かずにそのまま寝てのでした。

本日の走行距離

163.5km

本日の宿

宇宙ヶ丘公園キャンプ場(三泊目)

本日の家計簿

エブリワン朝食711円
自販機コーラ500pet120円
Aコープ食料、ビール804円


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