2/23(木)

行程

ライダーハウス「とまり木」〜上屋久町歴史民俗資料館〜益救神社〜屋久島大社〜ライダーハウス「とまり木」

今日は朝から雨でした。
そんな酷い雨ではなかったものの、日記が遅れているし、
泊りが敷地内にテントとはいえライダーハウス、談話室の使用OKという事で、
今日は朝からちょっとたまっている日記を書いていました。
昨日来た時に、VFRを見ていた方とお話したのですが、
その方が「ホームページ見ましたよ」と声を掛けてくれました。
ここに十日ぐらいいると言うことで、
「屋久島にそんないてもやること無いんじゃないんですか?」と聞いたら、
何でも、トロッコの写真を撮っていたとの事。
なるほど、そういう方もいらっしゃるのかと、
ちょっと自分の行動パターンから物を考えすぎたかな?と反省。
ちなみに、今日出られて徳之島に行かれるんだそうです。
ちなみにテレビではトリノオリンピック女子フィギュアスケートにて、
荒川静香選手が金メダルを取ったとのニュースで持ちきり。
演技を見ると、確かに素晴らしいと思いました。
テレビのはしゃぎっぷりにはムカつくんですけどね(笑)
じゃあ見なければ?と言うのはもっともですが、
私個人の部屋では無いので消すわけにも行かないし(^^;)

それはそうと、雨はやんできたようです。
そうそう、「屋久島は月に三十五日雨が降る」と言うことだったみたいで。
林芙美子は生まれは鹿児島じゃなかったと思いますが、
母親の実家がこっちだったのかな?桜島の古里温泉と言うところで育ったのだったか、
そこには「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の碑が建っています。
で、昨日の日記まで書き終わったのが午後一時くらい。
朝からコーヒーは飲んでいましたが何も食べていないし、
その上、スーパーで惣菜の焼きそばを買ってきたおねえちゃんが、
私の目の前にそれを放置して書き物をしているので、
その香りにますます空腹感が募りました(笑)
で、空港はエッジが通じるとエリアマップに載っていたのですが、
ここはそんな遠くないにも関わらず、あまり電波状況がよろしくない。
幸い雨もやんでいましたので、日記のアップと飯食いがてら出かけることにしました。

フェリーが着く宮之浦まで来てみたのですが、
午後2時を過ぎていたので、準備中のお店も多く、
偵察した末に、まだ営業中だった「かぼちゃ家」と言うお店に。
メニュー見てなんか見覚えあるな?と思ったら、
「屋久島ラーメン」と言うのが0円マップに取り上げられていたお店だったようで。
せっかくなのでその「屋久島ラーメン」と餃子を注文。
他には鹿児島ラーメンと東京ラーメン、カレーなどもありました。
ついでにパソコンを持ち込んでいたのでアップロードをします。
で、その屋久島ラーメン、サバ節でダシをとり、
飛魚のつけあげ(さつま揚げの鹿児島での呼称)が入ってるとのことでしたが、
そのつけあげは美味しかった物の、ラーメン自体は味に深みが無いと思いました。
値段高いし、しかも餃子が出てこないし・・・(笑)
完全にオーダーが通って無いみたいなので、
どうしようかな?と思ったもののそのまま席を立つことに。
会計でこれで餃子も含まれたらさすがに切れますが(笑)
さすがにそんなことはありませんでした。
長野で彼女と一緒にラーメン屋行ったときは、
オーダー伝票に書いてあるのに餃子出てこなかったし、
窓ゆきさんと福岡で行ったときもちゃんぽん出てこなかったし。
ラーメン屋ってそういうものなんでしょうかね?
まぁ、自分でお店やってるときも色々ミスはありましたが、
注文された物が、伝票に入って無いということはさすがになかったような。

そこを出てからは、上屋久町の歴史民俗資料館へ。
入口から屋久杉と秋田杉の・・・なんと言うか、輪切り状の物?が出迎えてくれます。
大きさはほぼ同じくらいなのですが、屋久杉の方が年輪が詰まっており、
樹齢でははるかに上だとの事。しかし、1000年はいってなかったと思いますし、
屋久杉と言うのは一般的に樹齢1000年以上の物のみそう呼ぶと言うことですから、
正確に言えば屋久杉では無いのかもしれません。
建物自体はあんまり大きくなく、展示も古ぼけた感じがするところで、
入館料が100円と安いのはいいのですが・・・
まぁ、勉強にはなりました。

そこから「益救(やく)神社」へ。
歴史民俗資料館で学んだことによると、かつては宮之浦岳をご神体とする、
山岳信仰の神社だったらしいのですが、現在は俗に言う山幸彦が御祭神とのこと。
こちらが説明板で、そちらにも書いてありますが、
延喜式に記載された神社であり、それは南西諸島の神社としては唯一なんだそうです。
ちなみに「歴史散歩」によると、「やく」の地名の初見は「日本書紀」616年に「掖玖」とのことですが、
これは当時、南島の総称と思われ、699年「続日本紀」の「夜久」から屋久島を指すんだとか。
神社そのものはあまり立派でないかな?と。
こちらが社殿で、総屋久杉造りだとか。
ちなみに「とまり木」でここのお守りのステッカーを見かけたので、
ちょっと欲しくもあったのですが、お札授け所はやってませんでした。
ま、もう貼るスペースも無いし、出雲大社と治水神社のお守りステッカーが貼付済みなんですけどね(^^;)

あまり天気が良くなく、風も出てきて、時間も夕方が近いですし、
どうしようかな?と思ったのですが、来る途中に大きな鳥居を見たことを思い出し、
そこを見てから帰ることにしました。
で、鳥居をくぐっていくと、立派な社殿があらわれました。
屋久島大社というところで、先の「益救神社」より立派ですし、
どういう由来の神社なのかな?と思ったのですが、境内には特にそういう説明はなし。
参拝してから来た時とは別の参道を下っていくと、
その道と県道の交差点脇に何か石碑があり。
とまって読んでみると、この神社を創建した方の顕彰碑で、
当地出身の製薬関連の実業家と言うことでしたが、
その方が昭和52年に創建したとのことでした。
じゃああんまりご利益とかなさそうだなぁ、と思ったのですが、
大抵の神社だって始まりはそんなものでしょうし、
そのうち時がたてば、箔もついていくのかな?と言う感じですね。

それからはもう帰還。「とまり木」近くのサムズというところで買い物をします。
スーパーかな?と思っていたのですが、食料が置いてあるホームセンターと言う感じでしょうか。
酒の棚を見ていると、「久保田」の「萬寿」があって驚いたのですが、
もう一方の棚を見ると「森伊蔵」と「魔王」があり、こちらもビックリ(^^;)
ま、値段が13,340円、39,800円、24,800円、とそれぞれ付けられていたのですけどね(笑)
(記憶でかいてますので・・・だいたいそのくらいと言うことで)
当然そんなものは買わず、モルツとポテチ、もやしを買って来ました。
まだちょっと早かったので、談話室でビール飲みながらポテチを食べ、マンガを読みます。
昨日、宿のルールを説明してくれた方がウクレレの練習をしていたのですが、
話をしたところによると、山梨出身で去年の六月からここにいるそうで。
うーん・・・六月って・・・とビックリしましたが、もう島でバイトしてるんだそうです。
そのうち、人がだんだん帰還してきました。
大学生でしょうか、チャリダーの五人組ぐらいのグループもおり、
男の子3、女の子2、だったかな?大学生のチャリダーというのは、
北海道で先輩が後輩をパシリに使うという現実を見てきており、
自分のことぐらい自分でしろ!という感じで大嫌いだったのですが、
そのグループは同級生なのかな?そんな感じもあまりなくて、
(もちろんそんなじっくり観察したわけではありませんけどf^^;)
なにか青春してるようで微笑ましいです・・・と書けば、
自分が如何におっさんか、年食ったか、ということを感じるわけですけど(^^;)
で、インスタントラーメンだけ作ってご飯にして、
日記を書こうと思ったのですが、あまり気分が優れず頭痛もあり・・・
なんか屋久島に来てからそういう感じだなぁ、と・・・
以前来た時も、普通に親の家に寝泊りしていたわけですが気分優れないことが多く、
屋久島とは相性悪いのかなぁ?と思ってみたり(^^;)
パソコンも付けたのですが、日記は結局かきませんでした。
最近、自分のページのカウンタとか見ると人がほとんど来ていないわけで、
真剣に凹むことも多いのですが・・・(^^;)
宣伝をしていない以前に、日記の内容が悪いのかな?とも思ったり。
まぁ、半分は自分のための記録と言う部分もあるんですけど・・・
彼女とメールしながらいくつか写真の感想を聞いて、
「日本一周中の彼氏の帰りをけなげに待つ彼女の日記」というのをやらない?と提案してみたのですが、
めんどくさいからヤダ、といわれました・・・(笑)

本日の走行距離

30.3km

本日の宿

ライダーハウス「とまり木」(敷地内にテント、二泊目)

本日の家計簿

かぼちゃ家屋久島ラーメン945円
歴史民俗資料館入館料100円
サムズ食料、ビール433円


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