3/30(木)

行程

実家〜枕崎火の神公園〜坊津輝津館〜鑑真記念館〜実家

今日は先日を補完するような感じで、また南薩へと走りに行きます。
準備をしてから、走り出す前に近くの神社の境内から、
桜と桜島の写真を撮影。
うーむ・・・題材的には申し分ないと思うのですが、
ちょっといまいちな写真かもしれません(^^;)
ちなみに桜島の名前の由来に「桜」は関係なく、かつては「向島」と言ったとかで、
「桜島」の名前は支配した豪族に由来するとかだったと思います。

さて、今日の目的地としては、もう指宿方面はいいかな?という感じがあったので、
火の神公園というところに行くべく、県道23-27-34とつなぎ枕崎へと直行します。
しかし指宿と言えば温泉、特に砂蒸し温泉が有名なわけですが、
考えてみたら私、入浴?したことないんですよね(^^;)
一回、山川と言うところの砂蒸し温泉に友人と行こうとしたことはあるのですが、
あいにく定休日か何かで入れず、結局普通の温泉に入った、と言うことはありますが。
まぁ、こちらの温泉も広くてきれいな露天風呂で、それはそれでよかったのですけれども。
と言う風に書いてみれば、また行こうという気がわいてくるのですが、
山川の砂蒸し温泉へのアクセス道路は、かなり急な下り坂で、
こんなところはバイクで走りたくない、と思ったような・・・(^^;)
うーん、ま・・・それはそのときにまた考えます(^^;)
砂蒸し温泉と言うのは説明が必要でしょうか?
一般的な、お湯につかる温泉とは全く違いまして、
砂浜に寝転んで砂を掛けて貰う、そういう温泉です。
地熱によってかなり熱くなり、しまいには我慢できなくなるくらいだそうですが・・・
ま、私は先に書いたとおり経験したことはありませんので(^^;)

ちなみに県道23号線は、なだらかで走りやすいワインディングロードでした。
登坂車線もそれなりに整備されていましたし、何より交通量が少なかったですしね。
清原選手や金本選手がオフに護摩行をすることで有名な最福寺の脇を抜けていきます。
沿道には所々桜が植えられ、これがまたちょうど見ごろで気分のいい道でした。
そして、特攻記念会館や武家屋敷で有名な知覧町へ。
以前来た事があるのでパスしますけれども、
この知覧町は青森県の弘前市と姉妹都市か何かなのかな?
7月に「ねぷた祭り」が行われるようです。
そんなこと知りませんで、「ねぶた」になりますが青森でわざわざ見た私(^^;)
ま、それだけが目的で青森に行ったわけじゃないので別にいいのですが、
機会があれば、こちらのお祭りもぜひ見たいものだと思います。
さて、知覧町と言えばもう一つ有名なものがありまして、それは「お茶」です。
鹿児島県は静岡県についでお茶の生産量が全国2位だったかと思いますが、
その中でも知覧町はメッカのような感じがありますね。
もっとも、鹿児島県のお茶は全国的に言うとブランド化されていないらしく、
知名度は低いようなのですが・・・いかがでしょう?
品質は高いと言う事らしいのですけどね。
と言うわけで、県道34号線にて枕崎市に入るのですが、
ここあたりは一面のお茶畑が広がっていました。
ここではなくて、もっと西の大浦町と言うところだったか、
一番茶の収穫が始まったと言うニュースもあったかと思いますし、
そろそろそういう時期のようです。

そして枕崎市街を抜けて、火の神公園というところへ。
近くの海に、大きな奇岩がそびえるところで、
キャンプ場やプールが整備されている公園なのですが、
来た目的としては、来月七日に旧日本海軍第二艦隊の追悼式があるらしく、
それの事前リサーチを兼ねていました。
駐車場のそばから遊歩道が伸びており、その脇には石灯籠が安置され、
第二艦隊にゆかりのある人たちが献灯しているようです。
その先には展望台状のものが設けてあり、その中に殉難鎮魂之碑がありました。
合掌して、冥福をお祈りしてから写真を撮らせてもらいました。
で、ここに登る階段の脇に、説明板があり、
第二艦隊を編成していた艦船が載っていたのですが、
それによると、旧日本海軍第二艦隊とは、
戦艦「大和」(大和級)、軽巡洋艦「矢矧」(阿賀野級)、
駆逐艦「初霜」(初春級)、「涼風」(白露級)、「霞」(朝潮級)、
「雪風」「磯風」「浜風」(以上三隻、陽炎級)、「朝霜」(夕雲級)、「冬月」(秋月級)、
からなっていたとのこと・・・
その他、海防艦「第三十三号」「御蔵」、水雷艦「友鶴」の写真もありました。
で、その任務(天一号作戦)は沖縄に上陸してきていた連合軍に艦砲射撃で打撃を与えること・・・
しかしながら、航空機が既に主戦力となっていたこの時期に、
その援護がないまま出撃すると言うことは自殺に等しい行為であり、
1945年4月6日に徳山沖を出航した艦隊は、
(このときの燃料は片道分だけだったとか、往復分あったとか諸説ありますが、
目的は大和を海岸に乗り上げさせて、要塞化することだったとも)
翌7日、敵艦載機により戦艦大和は集中攻撃を受け、この沖合いで沈没、
軽巡洋艦「矢矧」も奄美沖で沈没してしまい、結局沈没を免れたのは、
駆逐艦8隻のうち、4隻だけだったということです。

展望台の先は、即、海ではなく広場が広がっており、
やはり記念碑がいくつか建ち、その先に海が広がっていました。
で、海を眺めながら色々考えてみるわけですが・・・
戦艦大和に対する憧れと言うもの・・・
最近でも映画になったり、ミュージアムが出来たり、
古くは「宇宙戦艦ヤマト」を挙げるまでもなく、
ある程度日本人の中で普遍の物だと思うのですが、
例えばこの海に、全長256m、乗員約3,000名という船が浮かんでいる状況を考えると、
それは畏敬の念を抱かざるを得ないと思うわけです。
何しろ甑島航路のフェリー、もちろんそう大きい船ではないと分かっていますが、
それでも排水量は1,000トンに足らないくらいあり、
それが駆逐艦でもその2倍、軽巡洋艦の「矢矧」でも8倍はあるわけで、
それがまぁ戦艦クラスとなると、実際想像もつかないくらいだと思われますし。
しかしやはりその第二艦隊の行動は死にに行くようなもの、
なぜそういうことをしたのか、しないといけない状況になったのか、
それはちゃんと考えないといけないな・・・と。

そこからは遊歩道を歩いて、また別の展望台まで。
途中まではバリアフリー化されていて、車椅子でも問題ない緩やかな道だったのですが、
途中からはかなり階段がきつい上り坂に。
登っていくと、展望台とはいえないぐらいのちょっとしたスペースがあり、
その眼下には立神岩を見て引き返します。
そして市街地の「お魚センター」と言うところに行き、2階の食堂で食事をします。
ご飯時という事もあったのか、広い食堂でしたが、
席はそれなりに埋まっており、また壁には「男たちのYAMATO」でしたっけ?
映画の大きなポスターと言うか、壁絵がありました。
ま、私は映画に興味ないので見てませんけどね。
だいたい、あの頃の軍人ってのは丸刈りが基本なんじゃないんですかね?
どうでもいいんですけど・・・
注文したのはカツオのたたき定食でした。
味は普通だったし、値段にするとちょっと量が少ないかな?と。

そこからはまた走ってかつての坊津町、現在は合併して南さつま市だそうですが、
坊津歴史資料センター「輝津館(きしんかん)」へ。
坊津はかつて、筑前博多津、伊勢安濃津(現在の三重県津市)とともに、
中国の文書で「日本三津」と謳われたところです。
かつては海外貿易で大いに賑わい、鎖国時代も密貿易で栄えたそうですが、
今は見る影もなく寂れた漁村です(^^;)
それは「唐物くずれ」という、密貿易の取締りにより、
一夜にしてそうなってしまったんだそうですが・・・
また、かつては「一乗院」と言う、薩摩でも有数の大寺院があったそうですが、
これが「坊津」の由来と言うことだったか、しかし廃仏毀釈によって取り壊され、
こちらも今は見る影もありません。
とりあえず館内に入る前に、近くの森の中にいくつか碑があるようなので見に行きました。
まずは「震洋隊記念碑」。説明板等なかったのですが、
震洋というのは、確か太平洋戦争中の特攻兵器で、
モーターボートに爆薬を積んで体当たりをする、と言うものだったかと。
その出撃基地があったのか、訓練基地があったのかはよく分からないのですけれども。
そこから先にすすむと、梅崎春生文学碑
なんと書いてあるかちょっとわかりづらいでしょうか?
「人生 幻化に 似たり」と書いてありまして、その説明板はこちら
その先には展望台もあるようなのですが、とりあえず戻ります。
そして、館の前に広がる海には、双剣石なるものがあり、
大きいほうが高さ27m、小さいほうが21mあるそうですが、かなり遠いのであまり迫力はありません(^^;)
古くは安藤広重も描いた物だそうで、現在は国の名勝に指定されているんだそうです。
先日見た遊覧船で近くまで行けるようです。

それから館内に入ります。有料なのですが、
新しくきれいな建物で町の規模から考えると、大きいほうだと思います。
先に書きました貿易、宗教、その他現在の民俗等の展示もありましたが、
一つ心に残ったのは「青磁瓶」。
これがまた大変きれいな色と形をしており、とても感動しました。
写真に撮れず、紹介できないのが残念なんですが・・・
中島誠之助も大絶賛間違いなしでしょう・・・たぶん(^^;)
一乗院跡からだったか、発掘されたと言うことだったかと思いますが、
ちょっとひびがあったり、変色もあったのはマイナスポイントかも知れませんね。
しかしとても美しいものでした。
また、海外に移民した地元出身の方から送られた品物の展示もあり、
アメジストの原石や虎の皮なんてのもありました。
またパソコンもあって、地元の民話や観光情報が検索できたようなのですが、
時間の問題もあって、それはあまり触らずに外に出ました。

本日の走行距離

177.4km

本日の宿

実家

本日の家計簿


3/29へ戻る 目次へ戻る 3/31へ進む


inserted by FC2 system