10/31(火)

行程

道の駅サザンセトとうわ〜村上武吉公墓地〜陸奥記念館〜沖家室島〜三倉岳県立自然公園キャンプ場

天気

晴れ


起きたのは7時過ぎでした。
ちなみに昨晩はちょっと温かかったようで、
いつもは包まって寝る厚手のシュラフ、
布団のように掛けるだけで寝たのですけど、それでも問題なし。
起きてみると、最初見た空の部分には雲がかかっていましたが、
見渡してみると、今日もキレイな晴天。
しかし、夜のうちには雲が多かったのか、
フライには夜露は付いていませんでした。
とりあえずトイレに行ってからまた籠って日記書き。
昨日の訪問者はやはりチャリダーだったようで、
チャリとテントがまだあります。
私は旅人の中でも朝が遅いと言う自覚がありますが、
(夜、日記を書いてるからと言うことにしときますf^^;)
この旅人もまだ寝ているようでした。
日記を書いていると、彼も起き出して撤収作業始めたようで。
せっかくの縁なので、日記書きの途中でしたが、
テントを抜け出し、洗面歯磨きついでに話をすることに。
一通り出発地とか目的地とか聞いたり話したり・・・
で、私が「10月中には四国に入りたかったけど、
11/3のお祭り見に行くことにした」と言うと、
彼いわく、「旅はそんなもんですよ」と・・・「は?」と思いましたね。
そんなもんだって言うのはこっちだって良く分かっているわけで、
何せ自慢じゃないですが、本来私の旅は去年中に終わってるはずで、
それが資金稼ぎの時期もあったとは言え、
今になっても旅をしているわけですから・・・
これが「そんなもんですよ」と言うのなら普通の話なのですが、
初対面でそんなに話もしてないし、彼我の経験も分からないのに、
そんな「俺、経験者」みたいな話し方はちょっとね・・・
多分、二十歳そこそこ位だと思いますが、
「仕事の合間に旅してる」と言うから、
「長い休みが取れるお仕事なんですね」と言うと、
フリーターだって言うし・・・フリーターは普通、
仕事とは言わないと思うんですがね(笑)
ま、もちろんそんなこと面と向かって言うわけで無し、顔に出すわけで無し、
「お気をつけて」と言って別れ、私はまた日記を書いていたのでした。

ここがエッジが良く通じると言うことで、
今晩の宿泊予定地は絶対に通じそうにないので、
書き終わって日記をアップしたいということがありました。
しかし、残念ながらバッテリの残量が一桁(%)になってしまい、
書き上げられそうになかったし、9時にもなったので切り上げて撤収作業開始。
今日の目的地は島東部の陸奥記念館、他にもいくつかあり、
またここの道の駅のレストランでは地魚が食べられると言うことだったので、
島巡りが終わってからここに戻り、その間充電していた分で日記を書き上げ、
アップしようかな?と言う計画でした。
撤収作業は、心がけててきぱきとやるようにします。
厚手のシュラフの収納がちょっと大変なので、
夏場より手間がかかるといえばそうなんですが・・・
あ、あと2,3日前から荷物の積み方を変えています。
RSタイチのバッグの上に乗せる、テント、マット、シュラフなのですが、
これまでは、下の袋にテントとシュラフ二つ、
上の袋にマット、と言う感じだったのですが、
テントとシュラフ二つと言う短い物だけでは収まりが悪く・・・
長いものが下にあったほうがいいかな?と言う感じなので、
下にテントとマット、上にシュラフ二つと言うことにしました。
ま、これからも試行錯誤していい方法を見つけたいな、と。
ついでに、福岡を出てより、夜間は眼鏡替えてます。
以前は、夜中テントの中で日記を書くときでさえ色付き眼鏡だったのですが、
(単純に、変えるのが面倒だっただけf^^;)
窓ゆきさんの家で、普段は普通の眼鏡でパソコンに向かっていたのですが、
ある日、意識しないで色付き眼鏡でパソコンに向かったことがあり、
「なんか暗くない?」と思ったことがあったので、
やはり差があるのだな、と言うことで。
またちょっと余計な話を書いてしまいましたが、
まぁ今日は、旅生活に関係あることだからいいのかな?(^_^;)
結局、撤収作業が完了して、出発したのは10時15分ころでした。

何回も書きましたが、今日の目的地は陸奥資料館。
第2次世界大戦中、この島の近くで謎の爆発事故を起こし、
沈没してしまった、戦艦陸奥の資料を展示しているところです。
ま・・・第2次世界大戦は、既に戦艦の時代ではなく空母の時代・・・
にしても空母の資料館なんて聞いたことないですね(^_^;)
あるのでしょうか?どうなんでしょう?
大和級3番艦のはずが空母に改装された信濃・・・
かの艦も沈んだのは瀬戸内海じゃなかったかな?
うろ覚えですが、そちらはサルベージされてないのでしょうか。
沈没地点の深度が違うのかな?とか・・・
呉の大和のミュージアムも見に行くつもりですが、
その肩慣らしとしていいのかもしれない、とか、
こっちを見に行って、呉には行かないのが、
偏屈な私にはお似合いなのかもしれない、とか、
でもやっぱり第2次世界大戦中の戦艦といったら、
金剛、霧島、比叡、榛名、だよなとか、
そういうことを考えつつ、国道を東へ走っていくと、
途中、昨日は気づかなかったのですが、
「村上武吉公記念碑」と言う案内の看板が、
道路わきの建物にあるのに気づき、
「村上武吉って村上水軍の?」と言うことで見に行くことに。
そんなに国道から遠くないの場所ながら、
ちょっと入り組んだ所でしたが、案内はちゃんとありました。
これが町指定の天然記念物の樹木と、
同じ看板に記載されていたのですが、
その樹木はちゃんとあったものの、記念碑はない・・・
もう少し奥の方に、階段があったので、
その上かな?と思い、VFRを停めて見に行くことにしました。
これが狭い道で、おそらく車は通らないのでいいのですが、
VFRの安定性だったり、見終わったあとのUターンは気になりました(^_^;)

さて、階段の上はどうやらお寺のようでした。
現在の私の大目標目的地は四国になるわけですけど、
四国といったら八十八ヶ所霊場巡り。
実は、昨日パンフレットで知ったのですが、
この周防大島だけでも八十八ヶ所の霊場めぐりができるようで、
ここお寺もその霊場の一つのようでした。
階段登って右手にはその祈願所?と言う感じのところがあり、
左手には「村上武吉公永眠の地」とか言う碑と説明板がありました。
「村上武吉公永眠の地」説明板
ちょっと賛美しすぎかな?とは思いましたが、
それは私が島津氏を悪く言わないのと同じことだろう、と・・・
やはり村上水軍の村上武吉で間違いないようで、
記念碑ではなくて墓と言うことですが、
こんなところにあるとはかなり意外でした。
パンフレットにも載っていなかっただけに・・・
結構、重要なポイントだと思われるんですけどね・・・
辺りを見渡してみると、近くにはお寺のお堂?と言う建物があり、
その奥に何か白いのぼり、それも武吉関連のものらしかったので見に行くと、
「毛利元就ゆかりの地、村上水軍総領なんとかかんとか」と書いてありました。
ああ、大河ドラマになったときの影響で作られたのぼりかな?と思いつつ・・・
その目の前に、村上武吉の墓?と思われるものがあったので、
合掌をして写真撮影しておきました。
村上武吉の墓(?)
ま、私の戦国時代好きも信長の野望の影響な訳ですが(^_^;)
そんな私から見ると、そこそこ知名度がある武将なので、
その墓があるというだけでもこの周防大島はポイントが高いです(^_^;)
と言うか、一気に高くなりました(笑)
景色とかは、季節や天候によって左右されますから、
私が見たものと同じ物を見られるかどうか保障できませんが、
史跡などは同じ物見られるの保障できますからね・・・
保障しても、見に行く人少ないと言うのも、もちろん分かってますが(^_^;)

と言うわけで、ちょっと寄り道をしましたが、
今度こそ「陸奥資料館」へ。
国道から筋をちょっと下っていくと、
左回りに小さな水族館、キャンプ場、陸奥記念館とあり、
真ん中に駐車場があります。
記念館は思ったよりキレイな建物で、
建物の前に錨が設置してあったので、撮影してから入館しました。
戦艦陸奥の錨
戦艦陸奥の錨、説明プレート
内部の資料としては、陸奥の諸元や歴史はもちろんとして、
歴代艦長、乗組員の紹介、当時の軍服の展示やら、
引き上げられた色々なものの展示まで豊富にありました。
模型もあり、ビデオも二本ありまして・・・
「少年の日の夢、戦艦陸奥」と、もう一本は爆発の謎に関するもの。
陸奥の船員居住部屋を再現した部屋もあり、なかなか良かったです。
思ったこととしてはですね・・・そんな何でもかんでも平和に結び付けなくても、と。
ビデオでだったか、「陸奥の爆発の轟音を、
平和のなんとかかんとかにして・・・」と言っており、
陸奥の爆発沈没により、1,000名以上の方が無くなっているそうですが、
それはあくまで事故、戦争とは全く関係なく、
強いて言えば陸奥が軍艦だってことぐらい・・・
爆発の原因も不明だそうですので・・・
陸奥がいかに強力な戦艦だったか、と言うのを強調する一方で、
(私は陸奥が第2次世界大戦下において強力な戦艦だったとは、
実績からして思いません)
平和を語るのは、矛盾ではないかな?とも思うのです。
もちろん平和は平和で大切なことなのですけどね・・・
何と言うか、戦艦が勇壮である、と言う感情はいけないんでしょうかね?(^_^;)
抑止力と言う話を抜きにすれば、
軍艦含めた武力と言うものは平和の対極にあるわけですが、
普通の人が、軍艦とか戦闘機を見て「カッコイイ」と思うのは、
ある程度、機能美と言う点から真っ当だと思うし、
特に、第2次世界大戦下の一般市民なんて、
自家用車なんてとんでもない物だったわけで、
そんな中、現在の豪華客船より大きな船を見ると、
畏敬の念をいだくのも無理ないと思うし・・・
そういう念を抱いたからって、
即、戦争賛成!ではないと思うんですよね。
だからまぁ、ここは陸奥の記念館なので、
陸奥を賛美するのはある程度当然のことでしょうが、
陸奥への賛美=戦争賛成、と言うことではないと思うし、
逆に、そんな平和に結びつけるほうが無理があるのではないかと・・・
そんな風に思ったりしました。
ビデオで、かつての観艦式の映像とかありましたが、
純粋に、格好いいと思いましたし(^_^;)
科学技術の粋を集めた、と言う意味では、
現在のロケット打上と似たようなものかな?と・・・
もちろん、目的は異なりますが・・・

途中で、パック旅行客の大群が入って来たりしましたが、
私はほぼ見終わったあとだったので、
そう邪魔に感じることもなく、展示室を出ます。
ホールの隅のほう、区切られたスペースに学習室と言うものがあって、
軍事関連の本が並べられていたのですが、
机、テーブルはもちろんのこと、コンセントも完備してたので、
ここで日記書けたら・・・と思ったりしながら、外に。
ちょっとした丘の上には引き上げられた船体の一部があるようで、
それも見に行きました。
陸奥之碑
感銘碑(陸奥之碑付属説明碑)
陸奥について
沈没地点を望む
展示してあった遺物
手前から、推進機(スクリュー)、副砲、艦首、もう一つ副砲。
スクリューは4機あったうちの、左舷内側の物だそうで、
材料はマンガンとブロンズ、直径4.2m、重量約11トンだそうです。
副砲は50径14センチ砲、両舷9門づつ、計18門装備されていたうち、
左舷の16番砲だそうです。射程は14,800mに達し、
方針の長さは約7m、重量は砲座も含めて約18トン。
ちなみに主砲の射程は4万m、弾道の高さは5,520m、
つまり富士山より高いと言うことになるんだそうで・・・
富士山の裾野から撃ったりしたら、富士山飛び越えて、
正反対の裾野に弾着、なんてことになるのでしょうか?
艦首は特に説明の必要はないでしょうか・・・
本当に艦首の最先端部分だそうで、菊の御紋が付いていたところ。
ちなみにその御紋も、現在は自衛隊関連の施設に保存されてるとか・・・
当時は金箔が張られていたそうですが、もちろん見る影はないでしょうけど。
戦艦陸奥の艦首
また、爆発沈没した日には運悪く、予科練甲飛11期生が実習のため、
他の艦にも分かれて乗り込んでいたそうで、
陸奥に乗艦された135名中、124名が陸奥の事故によりなくなられたそうです。
その後実際に戦没した方、また存命の方も、
いずれ他界したらここで同期の仲間とともに眠りたいと言うことで、
同期全員の名前を刻んだ慰霊碑、「若鷹の碑」もありました。
何と言うか、その仲間意識はやはり強固なものがあるな、と・・・
今現在、ニートとか引きこもりとか、
その他色々、若者に関する問題はありますが・・・
ある程度、「兵役」と言うもので解決できるのでは?と思うことがあります(^_^;)
それついて書くのはまた長くなるので止めますが・・・
ま、私もちょっと前まで半分引きこもり、
今現在、半分ニート、と言うのも真実かもしれませんが(^_^;)

展示物を見終わったら駐車場へ戻ります。
島でキャンプをしようとしたら、候補になるのがここのキャンプ場。
料金は310円だと昨日書きましたが、別に駐車料金が200円、
バイクの場合、取られるそうで・・・計510円、
今ではなかなか払える金額ではないかもですね(^_^;)
取り合えず、広い広場があって、
炊事棟やらは広場の向うにあったので見なかったのですが、
手前には、大きな東屋があったので偵察。
テントがもう、何張りも張れそうな位、大きいのですが、
真ん中に四本立っている柱・・・
そのうち一本に、コンセントがあったので、
ここで張れるのなら、雨の日とかはアリかな?と思った次第。
ジュースを飲んで、一息ついてから出発します。

敷地内には、退役した自衛隊の航空機の展示もあったようですが、
引き返すのも手間なので、見ずに走ります。
ルートは、昨日と一部かぶっているのですが、
昨日は行かなかった島の南端のほうへと。
シーズンだったらキレイだったろうなぁ、と言う桜並木の下を走っていくと、
今日の目的の一つだった、「シーボルト上陸の地」碑に到着。
「シーボルト上陸の地」碑
同説明板
別に何も特別な上陸だったわけではなく、
江戸に参上する際に、寄港したと言う感じなのかな?と言うことで、
ちょっと残念でしたが、弟子として挙げられている青木何某・・・
もう一人の名前とともに、「生誕地」と言う看板を、
走っているときに見かけたので、
この島の出身の方なんでしょう・・・
だから一番最初に名前が挙げられているのかな?と(^_^;)
具体的にどんな人なのかは知りませんけどね(^_^;)
写真を取り終わると、沖家室島という島へ渡ります。
こちらはかなり小さい島なのですが、
有人島でやはり立派な橋が架かっています。
だから行く、フェリー経由なら行かないという話ですが(^_^;)
島には北岸側に道が通っているだけなので、
すぐに道路の行き止まりに着いてしまいました。
そこからは、渡ってきた橋が見えたので撮影。
ちなみに、沖家室島・・・なんと読むのか、はっきりしません(^_^;)
おきかむろ、かな?

沖家室大橋

なかなかキレイな橋だと思われたので、
近くのところから、再び撮影しました。
沖家室大橋2

今日の島での目的地は、陸奥記念館、
シーボルト上陸地、沖家室島で終了だったので、
そこから道の駅まで戻ります。
戻ると言っても、ちょうど沖家室島の真北に道の駅がある感じ、
もちろん道がまっすぐ通っているわけではないのですが、
そんな大回りをすると言う感じでもありません。
で、適当に道を走っていくのですが、
途中の坂に、立派な石碑を二つ発見・・・
なかなか面白そうだったので、
VFRを下りて、立ち寄っていくことにしました。
一つは南北朝時代の合戦跡地の碑、
一つはここ辺りの「石風呂」と言う風習についての物でした。
「加室合戦戦跡之地」碑
「地下室の石風呂」の碑
説明プレートズーム
ちょっと読みにくいかもしれませんが、
平易な言葉で書かれた、なかなかいい文章かと。
実際に石風呂も近くに残るようなので見学に。
地家室と言うのは、多分、普通に地名だと思います。
地家室の石風呂
ここは町指定の文化財と言うことでしたが、
別のところにある石風呂は、国の指定を受けているとか、
パンフレットにあったような気がします。
中まではさすがに入らずに、外観を見ただけですが(^_^;)
ちょっと上には、また八十八ヶ所霊場の一つがあったようです。
石風呂までの歩道脇に咲いていた花
例によって、花の名前は知りません(^_^;)
ハチに注意!とか看板もあったりして、
最も危険だとか言うスズメバチ・・・
黒色を好んで標的とするそうですが、
現在、私、上から下まで黒尽くめ・・・(^_^;)
遊歩道も歩いたりしますし、危険かな?と思いつつも、
変更のしようがない、と言うのも事実ですね。

しばらく走って道の駅に到着。
パソコンを持ち込んで日記を書こうとしたのですが、
走ってる途中で、ACアダプタがパソコンから外れていた様で、
ほとんど充電されておらず・・・しかしレストラン内にはコンセントがあったので、
電源を借りて日記を書き上げます。
道の駅に着いたのが1時過ぎで、出発したのが2時半前でしたから、
ご飯食べる時間も含めてとは言え、また1時間程粘っていたことになりますが(^_^;)
まぁ、そのおかげで無事29日の日記を書き上げることができました。
ちなみに食べたのはアジ定食。
その内容は、また下の表を見てもらうとして、
刺身が5切れしかのってなかったので、こりゃ失敗だな、と・・・
南蛮漬けは一匹丸ごとだったので、これを全部刺身にしてくれればいいのに、と(^_^;)
もちろんその手間とか、違うでしょうし、
南蛮漬けは作り置きできるでしょうから、
刺身にしたら、値段がアップはするでしょうけど・・・
食券方式なのですけど、注文したらすぐ出てきたので、
(隣席の方は、私より早く来ていて、注文はコーヒーのみだったのですが、
そのコーヒーより早く出てきました)
余計にその作り置きと言うことを感じさせました(^_^;)
別にまずいと言うことではないんですけどね・・・
道の駅のレストランに入ったと言うことが、
そもそもの失敗かもしれません(^_^;)
それはそうと、やはり天気のいい日にて・・・
平日でしたが、ライダーも何人か見かけ、
特にカップルライダーが、タンデムだったり、2台できたりですけど、
2,3組いたような気がします。

日記を書き上げたら、一路キャンプ場を目指します。
とりあえず島を出るために、国道を西へ走っていくわけですが、
前を走っていた車のナンバーが、「・893」・・・
ヤクザナンバーだったり(^_^;)
普通のバンでしたけどね・・・かなり嫌なナンバーです(笑)
あと、セブンイレブンの看板が見えたりして・・・
「そーいや、セブンイレブンって看板が変わってから、
中央にはなんて書いてあるんだっけ?」と思い、
走りながらそれを確認したのですが、
通り過ぎてから良く考えてみると、
いくら陸続きとは言え離島にセブンイレブン・・・
ちょっと驚いていい事実かな?と。
ついでに走っているともう一軒見かけました。

橋を渡ってからは、できるだけ違う道を通ってみたいの法則に則り、
来たときの国道188号線ではなく、国道437号線を北上することに。
北北西の方角へ、国道2号線に接続する道なのですが、
車もさほど多くなく、ちゃんと整備された道で、
ほぼ追い越し可能路線でしたし快走できました。
で、国道2号線との交差点・・・
ちょうどそこにENEOSのスタンドがあったこともあり、
給油のために立ち寄ります。
セルフのスタンドだったのですが、
何でもつり銭が現金ではなく、プリペイドカードで返ってくるとのこと・・・
存在は知っていましたが、そんなスタンドは初めてです。
大体、VFRでは、2,500円超、3,000円以下の給油をすることが多く、
小銭を入れられれば、大体そのくらいの金額を入れるのですが、
札しか入れられないとのこと・・・
とりあえず2,000円だけ給油するかな?と入れたのですが、
中途半端に燃料入れたら、燃費計算ができなくなるしな、と思い返し、
キャンセルボタンを押しました。
すると、給油したわけじゃないのに、
2,000円はプリペイドカードで返って来る・・・(-_-;)
「なんじゃそりゃ!」とこの時点でかなりイライラ(笑)
顧客の囲い込みは分かりますが、別に近隣住民じゃない旅人にとって、
迷惑この上ないシステム・・・客の利便性を無視してるとしかいいようがありません。
まぁ、返ってきた物はしょうがないので、
やはりその2,000円分は給油することにして、
プリペイドカードを再び挿入・・・
すると、さっきは142円/Lだったのが、140円/Lになったりして、
ちょっとラッキー、とか思いつつ、出なくなるまで給油したのですが、
返ってきたプリペイドカードを見ると、100円の残高があります・・・
おそらく、プリペイドカードもただじゃないし、
残高0円になったカードを捨てられないよう、
100円分は残高が必ず残るようになってるのでしょうが、
ほぼもう、「釣銭ドロボーかよ!」と感じる始末・・・(-_-;)
裏の注意書きを見ても、返金のことは、
「高額返金は、免許証のコピーを取った上で後日返金」としか書いておらず。
返金がいつになるかは分かりませんでしたが、
そんなんだったら、一杯入れとくか、と言うことで、
あと千円追加して、ちゃんと満タンになるようにしました。
帰ってきたカードを見ると、404円の残高。
今日返金されるかな?と思いつつ、
窓口に行って「返金して欲しいんですけど」と言うと、
無事、普通に返金されました。
ま・・・ごちゃごちゃ言われたらマジギレしてたでしょうけどね(^_^;)

それからは、食料の補充のことを考えつつ、
考えてきたルートどおりに進みます。
実際に、国道通行止めはかなり痛い感じで、
ただでさえ山の中にあってアクセスしにくいキャンプ場が、
さらにアクセスしにくくなっている感じです。
ルートとしては、国道187号線から、県道2号線をずっと走り、
国道186号線、キャンプ場入口の北のほうに出て通行止めを回避、
そこから南下してキャンプ場へ、と言う感じでした。
国道187号線は、左手に穏やかな川の流れを見ながら走ります。
写真は撮りませんでしたが、なかなか絵になる川でした。
辺りはすごい田舎なので、スーパーとか期待できそうもなく、
途中にあった個人商店でお買い物。
これが、個人商店としてはそこそこ大きいところで助かりましたが、
明太子パスタソース2食分(130円)、レトルトカレー4食パック(398円)、
ついでにチキンラーメンの5食パック(350円)を購入。
チキンラーメンは、そのまま食える・・・
と言うか、そのまま食ったほうが美味しいので、
いざと言うとき、水場がないところでキャンプするときの、
非常食も兼ねるという感じです。

買い物が終わったら、県道2号を抜けて行きます。
途中からは、より近い県道135号線と言う選択肢もあるのですが、
そっちを利用することが多くなるかな?と思われたので、
大回りになるのですが、この県道2号線を走ることにしてました。
なかなか整備された道でしたが、交通量はほとんどなく・・・
ところどころ狭い道もあり、トンネルとか作っているようでしたが、
逆にこんな交通量少ない道で、そんな金掛けなくても、と言う感じもありました。
ところで、以前も書きましたが山口名物の黄色いガードレール・・・
私は中学時の修学旅行が、北九州と山口で、
そのとき「なぜ黄色いか?」と言うクイズがバスガイドさんから出て、
私が「積雪時に見やすくするため」と言うと、正解とのことだったのですが、
ではなぜ、より雪が深い他の地方ではそうではないのか、と言うのは疑問ですね(^_^;)
それはそうと、キャンプ場は広島県と言うことになるので・・・
ちょうど県境で色が変わるのかな?と楽しみにしていたら、
県境付近は狭めの山道で、ガードレールはなかったので分かりませんでした(^_^;)

県道から国道に出たら、ちょっと興味惹かれるポイントもありましたが、
今日はキャンプ場着を優先したいので、スルーして行きます。
やはり行き止まりの影響があるのか、
こちらも交通量は少ない感じでした。
山の中を走る道を抜けると、やはり通行止めを知らせる看板が出てきて、
そこから県道289号へと、キャンプ場に向かいます。
国道からはそんなに距離はないのですが、
付近の集落は人家もまばらで、小さな個人商店の存在さえ危うい感じ(^_^;)
逆に、公園とか整備されていたので、キャンプはしやすそうでしたけど(笑)

で、無事キャンプ場には5時前に着いたのですが・・・
「申し込みをしてくれ、申込書は休憩所(ログハウス)に」と
看板が出ているながらも、肝心のそのログハウスが見当たらない・・・
ちょうど入口に建物はあるのですが、ログハウスじゃないし、
人の気配もないし、駐車場辺りも見に行ってもないし、
ついでに場内の案内を見ても見当たりませんでした。
駐車場の紅葉はキレイでしたけどね。
三倉岳県立自然公園駐車場の紅葉
先日貰った情報では、キャンプ客がいるときは管理人もキャンプ場に泊まる、
しかし休日もありと言うことで、休日なのかな?とも思い、
ま、いいか、ととりあえず張ることにしました。
場内はとても広くて、森林の中を利用しており、
なかなかいい感じなのですが、バイクの乗り入れは出来ないようで・・・
VFRでは、OKと言われてもやりたくない感じでしたが、
一番車道に近い区画に張ることにします。
当然、荷物持って上がるのが面倒だからで・・・(笑)
近くには立派なテーブルと椅子が備え付けられており、
ついでに区画は木の枠で囲って平面を出してあります。
そのテーブルに荷物を置いたりしているうち、
近くに、車がやってきて停まった音と、
なにやらチェーンを閉めるような感じの音。
管理人かな?と思ってちょっと見てみたのですが、
おばさんでしたが、実際管理人のようで、
少し遠くからでしたが、「上に申込書あるから来てください」とのことでした。

ならば、と言うことでVFRで行きます。
道はY字路になっていて、道路に挟まれた場所にキャンプ場がある感じ。
上に登る道は、チェーンが張られていましたが、
VFRは横の隙間から抜けることができました。
しばらく登ると、未舗装ながらも広いスペースがあり、
その奥に大きなログハウスがありました。
中に入っていくと、先ほどのおばちゃんがいたので、
指示に従って申し込み。
三日の祭りを見に行くことは決定として、
ならば四日まで、4泊5日と言うことになります。
申込書を渡すと、「4泊も・・・」と言われましたが(^_^;)
熊に関する注意とか、寒さに関する注意とかあり、
また明日は管理人さんもお休みとのことで、
「他に客もいないし、一人になりますけど・・・」との事、
個人的に言うなら、管理人が宿泊するほうが珍しいと思うんですけどね(^_^;)

とりあえず、申し込みが終わったら、
「よろしくお願いします」と言ってログハウスを出るのですが、
目の前には三倉岳・・・こんな特異な山もなかなかないかと、
写真撮影しておきました。
三倉岳
戻ってからは、テント設営から炊事までいつもの作業。
ご飯ができるのを待つ間、早速チキンラーメンをそのまま食べてたり(^_^;)
パソコンはACアダプタがまた外れていたようで、
あまり充電されてないかな?と・・・
炊事棟の分電盤にはコンセントありとの情報貰っていたので、
しっかりそこで充電させて貰いました(笑)
充電は着いたときからさせてもらってたのですが、
そのときは反応なかったのが(満充電?とも思ってました)、
申し込みが終わった後では、充電中を示すサインが点滅していたので、
ログハウスのほうで、大元のブレーカーを管理しているのかな?
と言う感じですね。まぁ、今日はそこまで利用せずに、
早めに引っ込めたのですが、63%しか充電されていませんでした。
パソコンを起動するのは、ご飯を食べ終わってからなのですが、
最近はご飯を食べ終わったあとに、食休みと言って、
携帯を色々いじってる時間があったり。
iチャネルでニュースだとか、自分ののメール、掲示板、
その他旅人のブログとか見てるのですが、
時間に対して、明らかに情報量が足りない(^_^;)
なんか更新がマメで面白いところないかなぁ、と・・・
自分の事を棚に上げて考えてたり(^_^;)
もちろん、旅に関係ないところはあまり見ないと思うのですが、
今日は、潰瘍性大腸炎リング関連で色々見てました。
先日も書いたように、私の携帯はフルブラウザじゃないので、
フレームが使われていると閲覧できないし、
スタイルが崩れていることも多いのですけどね。
で、そんな中訪問した他の登録されているサイト・・・
病状は私よりずっと酷い人が多くて、
私がカレーだのコーヒーだの、酒だの・・・
飲みまくり食べまくりと言うことを書いていいのか、と・・・
そんな状況で潰瘍性大腸炎の患者と言えるのかと・・・
潰瘍性大腸炎リングに登録してるサイトの内容として相応しいのかと・・・
そんな風にちょっと思ったりもしました(^_^;)
ま、いい方に解釈すれば・・・そういう軽症患者もいますよ、と、
初めて罹った人に、気休めとしてのアピールはできるのかな?とも。
ま、罹った当初は、悪い情報にばかり目が行く物かもしれませんけど(^_^;)
ちなみに、ここはFOMAだと電波は少し微妙でした。
聞いていた話だと、auの古い携帯でも微妙、
新しい携帯は圏外だったらしいので、
DoCoMoで良かった、と感じるところかもしれません(笑)

食休みが終わったら日記を書くのですが、
今日も途中で眠くなってしまいまして・・・11時過ぎだったでしょうか?
バッテリにまだ余裕はありましたが、寝ることにしました。
「夜はかなり冷えますので・・・」と注意されたばかりでしたが、
あまりそういう感じもないかな?と・・・
昨日と同じように、厚手のシュラフを布団のように掛けた状態で寝たのでした。

本日の走行距離

152km

本日の宿

三倉岳県立自然公園キャンプ場
エッジの通信状況:×、FOMAも少し微妙

本日の家計簿

陸奥記念館入館料420円
自販機キリンメッツ120円
道の駅レストランアジ定食1,000円
ENEOS18.54L 140円/L2,596円
個人商店食料878円

本日のトイレ

回数下血の量
無し

本日の摂取物

陸奥記念館キリンメッツ350ml
道の駅サザンセトとうわ
レストラン
アジ定食
(アジの刺身、南蛮漬け、茶碗蒸し、
小鉢、漬物、ご飯、味噌汁、
お冷、お茶)
テント内明太子のパスタ
レトルトカレー+米
チキンラーメン(そのまま)

(こちらは、潰瘍性大腸炎がらみの記録です)


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