実家〜桐野利秋誕生地〜レッドバロン〜伊作城跡〜実家
昨晩ちょっと遅かったので、今朝は朝寝を楽しんでいたのですが、
VFRを持って行ってもらって以来始めて、レッドバロンから連絡あり。
二日間連絡なしだったものですから、ちょっと不安になっていたのですが、
タイヤは既に発注済みで、今日か(明日は定休日ですから)あさってには届くとの事。
では、届いて交換が終了したら再度連絡を、とお願いして切ります。
今日は天気もよく、気温もちょうどいいくらいの気持ちのいい日だったので、
ちょっと買い物がてら散歩に行くことにしました。
買い物をしている間にレッドバロンから、タイヤが届き交換終了との連絡がありました。
ま、とりあえずそれは置いておいて、歩いていった先は「桐野利秋誕生地」。
ちょっと分かりにくい場所にあるのですが、私は以前行ったことがあるので、
そのときの記憶をたどりつつ、無事到着。
小さな公園の中に、「贈正五位桐野利秋君誕生之地」の碑がありました。
その説明板。
公園は小さいながらもほうきで掃いた跡があり、
今でも郷土の偉人として大切にされているんだなぁ、と言うことを感じさせてくれるところでした。
ところで・・・説明板について一つ疑問があり・・・
一般的に薩摩藩の剣法というと、「示現流」が有名だと思うのですが、
東郷重位を始祖とするその剣法は、薩摩藩では上級武士の物だったのです。
では下級武士のものは?と言うと「野太刀自顕流」(呼び名は色々あります)と言い、
その最大の違いはと言うと、示現流が地面に縦に立てた木に向かって打ち込むのに対し、
野太刀自顕流は木を束ねて横にし、適当な高さになるように据えて打ち込み、
その打ち込む木は両派ともに「立ち木」と言うのですが、
「立木打ちで庭木を全て枯らすほど武芸の練習に励み」と言うことは、
なんだか「示現流」のような表現で、下級武士の家出身というイメージと合致しないな、と。
話は変わりますが、私は以前「野太刀自顕流」を習っていたことがあるのです。
練習は月一回土曜日に、「共研舎」という幼稚園でやっており、
実戦はなくてその立木にひたすら打ち込む、と言うのがメインなのですが、
八月は、鹿児島でいくら日差しが強いとは言え肉体的に危険なので
練習がお休みになると言うハードな物でした(笑)
まぁ私は半年ぐらいかじったのみで、その後仕事が忙しくなったので、
自然消滅的に通うのを止めてしまったんですけどね・・・
それについては今でも後悔があり、と言うのも師範の先生が当時でも老齢で、
一回入院されたことがあり、お見舞いに行ったときに、
「君たちのような若い人がいれば心配ない」と言うような事を仰りまして、
しかし私はその先生の期待を裏切ってしまったような形になっているわけでして・・・
もちろん仕事だって大事ですし、私は当時職場の責任者でしたからしょうがないとは思うのですが、
郷土の伝統を守る、と言う観点から見れば、続けておけばよかった、と言うのも事実です。
そういうことを考えながら実家まで歩いて帰ります。
そうそう、当時一緒に練習されていた方が、
「野太刀自顕流」についての本を出されており、とても驚いたことがあります。
2005年の初めのことだったかと思いますが・・・
興味ある方はぜひどうぞ。
家の近くの桜は、もうだいぶ散ってしまったのですが、
一本だけ品種が違う桜がありまして、と言うか桜なのかどうか?
よく分からないのですが、なにせ黄色い桜なのです。
考えてみれば「黄桜」というメーカーまであるわけで、
あってもおかしくないのかもしれませんが・・・黄色い桜。
木の幹の様子は桜と変わらないんですけどね。
その花の様子。
普通の桜が満開になっていたとき、こちらの桜はまだつぼみでして、
開花時期が違うなぁ、長く楽しめるなぁ、と楽しみにしていたのですが、
ちょっと、写真は上手く撮れていないですね(^^;)
実家に戻ってからは、母親に送ってもらってレッドバロンまでVFRを取りに行きます。
着いてみると、工場には工場長一人しかいませんでした。
いつもは工場長含めて三人いるのですが、明日がお休みなので、
若手二人は今日もお休みと言うことかな?
何でこんなことを書くかといいますと、
工場長、「今日は暑いですねぇ」「暖かくなるとみんな動き始めて・・・」と、
なんだか忙しそうだったので・・・やっぱり鹿児島のライダーもそんな感じなのかな?と。
タイヤのパンクの理由も聞いてみたのですが、
磨耗が進んでいたためか、それとも何か刺さったのかは結局はっきりせず。
支払いが終わると、タイヤの皮むきも兼ねて少し走りに行きました。
向かった先は伊作峠を越えて、吹上という町まで。
峠と言ってもなだらかな物ですし、タイヤも替えたばっかりだし、
前を走る車もいたので、のんびり走っていたのですけどね。
ついでに、私が通っていた中学校は今は別の場所にあるのですが、
私が通っていた当時はこの沿線にありました(笑)
その様子を見てから吹上町内に入り、コンビニで休憩とタイヤのチェックをして引き返します。
引き返す途中に、伊作城(亀丸城)跡の案内があり、寄ることにしました。
脇道に入って道なりに進んでいくと、ちょっとずつ説明の看板出てきます。
それは空堀や土塁の説明のようでしたが、とりあえず先に進んでいくと、
何か水源施設のような物で道は行き止まりに。
引き返して、本丸跡の表示があったところへ登ってみます。
入口はこのようになっており、これは空堀の跡だということです。
その脇の説明板。そこにも書いてありますけれども、
戦国時代の島津家を支えた人物が多くこのお城で産まれたようです。
登った先の道は二又に分かれており、本丸跡は左側。
まぁそこは木が植えられているぐらいの広場なのですが、
その奥のほうに、石碑が固まっている場所がありました。
手前の方から、島津四兄弟御誕生石。右から、義久、義弘、歳久、家久のもの。
手前の丸い石がそれで、中央の四角い碑は後世に作られた物のような感じでした。
その隣が「亀丸城趾之碑」。その隣は御女子(二人)御誕生石。
「日新公御誕生地」碑と、喜久、忠良、忠将、尚久公御誕生石。
ちなみに丸石は、特に何も書いていないような感じだったと思います。
その説明板その一と、その二です。
日新公の「いろは歌」とありますが、これは「いろはにほへと・・・」を先頭の文字として、
様々な教訓を短歌として詠んだ物であり、その最初を飾る、
「いにしえの みちをきいても となえても わがおこないに せずばかいなし」
の歌はとても有名です。他は私もちょっと知りませんけれども(^^;)
島津義久は古今伝授も受けたり、家臣の新納忠元も和歌で有名だったりしますが、
日本の南端の田舎とはいえ、その教養はなかなかの物があったようです。
また話が他にそれますが、来年の大河ドラマは「風林火山」だそうで・・・
と言っても山本勘助が主人公だそうですが、また武田関連って・・・
初期の「天と地と」、人気があった「武田信玄」と合わせて三回目・・・島津氏だって、
鎌倉期よりの守護がそのまま戦国大名、江戸時代の藩へ(かなり稀なパターン)
耳川の合戦、沖田畷の合戦、戸次川の合戦と言った大きな合戦に勝利
文禄慶長の役での活躍
関が原での正面突破脱出と、その後の本領安堵(西軍では唯一)
琉球征服、その後明治維新での働き
各々果たす役割が違う上に優秀な四兄弟
などなど・・・ドラマ性には事欠かないと思うのですが、なぜ取り上げられないのかな?
外様大名としての石高だって、「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」の前田家(103万石)に次ぎ、
「独眼竜政宗」の伊達家(56万石)を上回るもの(77万石)ですしね。
ちなみに「功名が辻」の山内家は24万石・・・(石高は手元資料によります)
うーん、こうして書いてみると本当にどうして取り上げられないのか?と。
やっぱり、南端だからマイナーなのか・・・
それとも優秀な当主ばかり続いているから区切りがしにくいのかな?とか・・・(笑)
まぁ、地元でも戦国島津家を大河ドラマに!なんて運動聞いたことないというのも事実ですけど。
ホント、結構不思議であります。
さて、話を元に戻して伊作城。
伊作城の他に「亀丸城」と言う名前も良く出てきましたが、
これは異称ということではないようです。
最初に入ってきた空堀を左にきたら亀丸城跡に来たわけですが、
右に行くと蔵之城跡になりまして、こちらもただ広場があるだけなのですが、
鹿児島では郭(くるわ、曲輪)のことを「○○城」とも呼ぶ、と説明板にあり、
つまり一つの大きな範囲としての「伊作城」があり、
その中に「亀丸城」「蔵之城」がある、と言う感じなのだと思います。
それと日新公(忠良)の子であり、四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父である、
貴久公の御誕生石がないな、と。どこか別のところで生まれたと言うことでしょうか?
詳しくは調べてないのでわかりませんが、おかしなことだと思いました。
近くの桜はまだ散っておらず、しばらく眺めてから帰還します。
メインの県道に合流する前に、レンゲの花が咲いている田んぼがあり、
その様子をしばし眺めます。咲いているのはこの田だけで、
他には生えていなかったので、種をまかないと咲かないのかなぁ?と思いながら・・・
幼少のころにはとても身近に見られた花でもあり、
「春の小川はさらさら行くよ♪」の中にも出てきますけれども、
春ということを一番感じさせる花のような気がします。
で、低い所に生えている背の低い花なので、撮りづらかったのですが、
またその様子を撮って見ました。
レンゲの花その一
レンゲの花その二
あんまり上手く撮れていないかな?と・・・
その後は普通に帰還します。
やっぱりのんびり走りながら・・・
で、夕飯時に地元のニュースのラストでちょうどレンゲの様子が写されており、
ふむふむ、とその写し方をちょっと勉強させていただきました。
で、夜の話なのですが・・・
旅に出る前、正確に言うと仕事辞めてから伸ばしていた髭を剃りました。
ま、色々と事情があったんですけどね。
久しぶりに髭のない自分の顔と言う物を見てみると、
自分で言うのもなんですが、ちょっと女ぽい顔立ちだなぁ、と(^^;)
髪が長かった頃は、今より顔立ちが幼いということもあるとはいえ、
女の子に間違われたこともある私ですから・・・(笑)
うーむ・・・だから髭を伸ばすと言うわけでもないのですけど。
携帯で写真を撮って、みほさんに送ってみると、
「髭ないほうがカッコイイよ!惚れ直す!」だそうです。
みほさんはもともと髭嫌いなようなので、話半分に聞いておきます(笑)
64.9km
実家
タイヨー | 髭剃り、コーヒー | 1,020円 |
レッドバロン | 後輪タイヤ、タイヤ交換技術料 | 27,810円 |
ローソン | 休憩軽食 | 225円 |